«前の日記(2021-09-28) 最新 次の日記(2021-10-05)» 編集

薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

2008|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|10|12|
2015|01|03|12|
2016|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|

2021-09-29 【日本種族主義】

2年ほど前に、『反日種族主義』という題名の書籍が、韓国で出版されたのでございます。日本語にも翻訳され、韓国・日本でベストセラーとなったのでございます。現在、韓国国内で信じられている諸々の反日通説を、ことごとく全て嘘八百だと論理的に検証した、(韓国としては)画期的な書籍でございます。

この書籍の題名、「反日“民族”主義」ではなく“種族”とした所がミソ。「民族」というのは様々な価値観を持った人たちが集まり、その集合体から生まれる共同体意識(コモンセンス)が「民族」を形成している。ところがところが、「種族」というのは、ひとつの同じ価値観を絆とする集まりなのでございます。同じ価値観で通じ合っておりますので、その集合体全体がまるでひとつの人格の様に行動する。この書籍の著者は、韓国の反日思想を「民族なんていう高等なものじゃ無い、種族だ!」と言い放ったわけでございます。

さて、本題に入りましょう。大相撲、白鵬が突然の引退宣言! 引退後は、多分、親方になるのでしょうね。そこでかねてから話題になっていたのが、白鵬の「国籍」でございます。大相撲の親方になるには、「日本国籍であること」という条件がございます。白鵬関、この件に関しては、散々悩んだ上での日本国籍取得だったそうでございます。なぜなら、彼は母国モンゴルでは国民的英雄。日本国籍を取ると、母国では「日本に魂を売った」とバッシングを受ける可能性もございます。かつて旭天鵬の日本国籍取得が、母国モンゴルでバッシングを受けたという事実がございます。

ここでワタクシは、モンゴルの人たちを責めるつもりは毛頭ございませんよ。むしろ懐疑的なのは、日本への帰化を強要する大相撲の体質。一時期、閑古鳥の鳴いていた大相撲を盛り返してくれたのは、多くの外国人力士達のおかげ。そして今、そういった外国人力士なくしては、日本の大相撲は成り立っていかないという事実。にも関わらず、相変わらず大相撲に「純血」を要求するその体質。ワタクシはこれを、大相撲協会の「日本種族主義」と名づけましょう!

ワタクシが自分のお店を近代化するにあたり、まずやらなければならなかったのは、長年培ってきた自分の価値観を根底からぶち壊すことでございます。自分の価値観が世の中の変化に追いついていなかったのですから、まずそこを壊さなければ未来はございません。大相撲もしかり。外国人力士が日本の「しきたり」に我慢して追従してくれているのに甘えすぎではないでしょうか? 次は、大相撲協会そのものが、既存の価値観をぶち壊す時期だと思っております。白鵬の引退劇を、そのきっかけにして欲しいものでございます。

この「日本種族主義」、なにも大相撲に限ったことではございませんよ。テニスの大坂なおみさん。彼女も国籍問題ではいろいろバッシングを受けておりました。こういう問題で、日本という国は二重国籍を認めない世界でも希な国。法律も国民性も、全てにおいて「純血」を求める。あぁ、何という前近代的な種族主義であることか! 少なくとも、大記録を打ち立てたような人には、特例が有ってもよろしいのではと思ったりいたします。

逆に、メジャリーグの「大谷翔平」選手、アメリカで大絶賛を受けており、グラウンドに出れば、観客から「MVP」のかけ声がかかる。様々な人種が錯綜するアメリカと日本を同等に語るのは暴言ではございますが、日本は自らの「日本種族主義」に、そろそろ気づくべきではないでしょうか。伝統として残すべきところは残し、改める所は勇気を持って改める。外国人が我慢して日本に寄り添ってくれている間に、日本もその「しきたりの押し付け」に気づいて改めて行くべきではないですか。ということで、今日はこの辺で。では、では。


«前の日記(2021-09-28) 最新 次の日記(2021-10-05)» 編集