店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
「表現の不自由展」が、波瀾万丈の様相を呈しております。ワタクシの結論から申し上げますと、この展覧会は「先進国としては、当然、有り」なのですが、主催者の運営の仕方があまりにも下手。まさか炎上商法を狙っているわけでもないでしょうが、わざわざ火に燃料を投下する様な催し方をして、事態を最悪にしております。
まず、一番大事なこと。それは「この展覧会の内容が、主催者の”持論”であるかどうか」を考えること。これ、ほとんどの人が認識不足に陥ってますよね。この主催者自身が反日運動をしているのではなく、反日に関するものを集めて展示して見せているだけ。その「普段、なかなかマスコミなどに取り上げられない物を集めましたよ」というのが展覧会の主旨なのでございます。
ここでややこしいのは、主催者が「表現の自由」を叫んじゃっていること。「表現」と言われたら、そこに主催者の「意図」が関与していることになってしまう。でも本来は、「報道の自由」を主張すべきなのですけどねぇ。この主催者、「表現の自由」という看板に酔っている感がございます。あるいは、わざと物議を醸す物言いにして、注目度を高めようと思ったのか? 主催者の思慮、浅すぎでございます。
国家権力か(中国)世間の同調圧力によってか(韓国)という違いはございますが、これ、事実ですよね。では、上の文章の「中国(韓国)」というところを「日本」に置き換えて読んでみて下さい。「表現の不自由展」というのは、日本へのヘイトにほかなりませんよ。ほ~ら、ほら、表現の不自由展を妨害するということは、日本が中国や韓国と同じレベルに成り下がるということ! 結論! たとえ自分たちにとって不愉快な表現や報道であってもそれを受け入れるということ、それは「先進国の資格」なのでございます。
ニュース番組が韓国の反日運動の映像をテレビで流せるのも、それは見た人が「報道であって、日本のテレビ局がその思想を持っているわけではない」と分かっているから。最近は映画でも、冒頭に「この映画の趣旨を映画会社が支持しているわけではありません」という文言が流されたりいたします。そう、「表現の不自由展」の主催者も、この立ち位置を死守するべきだったのでございます。