店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
当店がオープンしたのは、ちょうど20年前。アメリカの同時テロが起きたのは、当店がオープンしてから9ヶ月ほど経ったころでございました。その同時テロの日を境に、アメリカの歴史は「同時テロ前」「同時テロ後」と語られるようになったのでございます。
そして、お店がオープンしてから10年目の2011年の3月11日に起きたのが、東日本大震災でございました。日本中が、未来永劫忘れることの出来ない日となりました。そして日本でも、この日を境に「震災前」「震災後」と語られるようになったのでございます。震災後と言われ始めてから10年、東北の街に「日常」は戻ったのでしょうか?
「巨大堤防の建築」「かさ上げ」を行った地域は、人口が半分近くに減っているそうでございます。災害の記憶を忘れるために離れた人、堤防の息苦しさに逃げだした人、風光を失って商いが成り立たなくなって出た人、様々な人々の様々な事情が折り重なっての、致し方ない結果でしょうね。故郷を離れていった人達を責める事は出来ません。
ワタクシは当初から、巨大堤防やかさ上げには否定的でございました。工事が長期化して喜ぶのは土建屋だけ。まず、人々の「日常」を戻すことが最優先だと思っておりました。だから、荒れ地にプレハブでもいいから、元の土地にかつて存在していた「コミュニティ」を復活させ、コミュニティや日常が戻ってから、それから、高台へ移動する、他の街へ引っ越す、そういったことを進めればよろしいのでございます。
長期に仮設住宅に押しやられ、地域のコミュニティは完全に分解されてしまったのでございます。工事が終わったころには、街並みは全く以前の面影を失っておりました。魅力も愛着もその土地に住む必要性も、何も感じられなかった人も多いのでしょう。多くの人口流出が、それを証明しております。
東日本大震災からでしょうかねぇ、日本人がやたら「ゼロリスク」に拘り始めたのは。百年か千年に一度の津波を防ぐ大堤防を作るとは申しましても、次にそれほどの津波が来る頃には、既に堤防は老朽化してますよね。「ゼロリスク」を追及すると、コストの肥大に反比例して、そのものが活躍する機会はゼロに近づいていく。この費用対効果を完全無視したゼロリスク思想が、この10年間、日本を無駄に浪費させているのでございます。