店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
アスクルで見つけて、即、発注。一杯分ずつスティック状の個包装になっているタイプでございます。缶容器から小さなスプーンで取り出すタイプに比べると、個包装のはチョイト割高。ですけど、「はい、おすそわけ」と言って人にプレゼントしやすいのは個包装のもの。まぁ、お菓子の類と同じでございますね。
梅昆布茶ならぬ昆布茶では、どうにも切ない50年以上前の記憶がございまして、ふと、ワタクシの脳裏の片隅から時々ヒョッコリと顔を出して、心を軽くチクチクするのですよね。それはちょうど今ごろの季節で、4月からは小学校に入学といった年齢になった頃でございます。
当時、木造アパートに住んでおりました。ワタクシが1人で留守番状態。すると、ドアをノックする音が! 確か、そのアパートにドアホンやチャイムの類は無かったように記憶しております。玄関のドアを開けると、そこには美人の女性が! ちょっと前に隣の部屋に引っ越してきた女性でございました。
その女性、手に、大きめの湯飲みに入った昆布茶を持っておりました。「昆布茶を作ったので、おすそわけに持って来ました」とのこと。当時のワタクシが、お菓子とカレーライス以外で嬉しそうな顔をするはずがない。ガキんちょのワタクシ、昆布茶が何であるかも知らずに、多分、無愛想に受け取ったのでしょうね。
玄関のドアが閉まりますと、ワタクシ、その場で立ったまま一口飲もうといたしました。幼少の頃から口の卑しいワタクシ、奥の部屋まで持って行くその数秒が待てなかったのでしょう。そして、得体の知れぬ熱い液体に、一口、口をつけたのでございます。
幼少のワタクシ、最初の一触で「まずい」という感情が即発! 僅かながら口の中に入った熱い液体は舌先を湿らしただけで吐き出され、湯飲みの中の残りの液体も即座に流しに捨ててしまう! プラッシーやチェリオで育ったワタクシの味覚は、昆布茶のうまみに対しては、まだ間口を開いていなかったようでございます。
まぁ、子供ですからね。昆布茶を美味しいと感じられなかったのも仕方が無い。ただねぇ、50年以上も、その「捨てた瞬間」の記憶が事あることに沸き上がって、ワタクシの心をチクチクするのでございます。持って来てくれた女性の顔は、美人だということ以外全く覚えてないのですけどねぇ。
子供の自分がやらかした事とは言え、その女性の「想い」を捨ててしまったことを、ずっと悔いているのでございます。ひょっとすると、その女性の昆布茶、本当に不味かったのかも知れません。でも、もしそうだとしても、大人の今だったら、昆布茶の味とその女性の想いは切り離して、「自分の口には合わないけど、ありがとう」と心の中で言える。今のワタクシにそう思わせているのは、幼少期のその体験がトラウマになっているからではないでしょうかねぇ。
トラウマって語は、比較的悪い事項に関して使われることが多いものでございます。でもね、こういった「良いトラウマ」ってのも有ると思いますよ。そして、長年このトラウマにチクチクさせられてきて、今、この歳になって、「あぁ、人や物の出来不出来と、その人や物に対する自分の想いは別物なんだ」と悟ったりしております。