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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2020-11-12 【一番レアなケースに一番のウェイト】

事故がダメなら、それは乗り物も否定することになる

女川原発の再稼働の件で、宮城県知事が発した言葉でございます。まったくもって、ごもっとも。全ての乗り物は、事故を起こす度に改良が重ねられ安全になる。ところが、こと原発に限っては、そのようなポジティブな考え方はしないのですよね。善か悪かで考えられてしまう。あ~あぁ、原始宗教かよ(笑)。

なぜ福島第一は爆発して、女川は爆発しなかったか? 単純に、非常電源が生きていたかどうかでございます。福島第一も、電源さえ失わなかったら爆発はしなかった。地震による直接の被害はどちらも微々たるもの。地震に対しては強固、しかし、電源喪失に対しては脆弱な設計だった。それが、かの震災で発覚した事実。ここを起点に考えれば、全ての原発を十把一絡げに考えてはいけない事が分かるのですけどねぇ。

幽霊の正体見たり枯れ尾花と申します。人は、「分からない物=恐い=悪」と考えてしまうもの。原発を悪とする原始宗教のような考え方、日本はもうそろそろ卒業しましょうよ。震源地に一番近い女川原発は、あの震災でもビクともしなかった。つまり、「世界で一番安全な原発」と世界中に自慢する事も出来たのですよ!

反対派には、「もし爆発したら逃げる場所がない」という意見もございます。これも「分からない=悪」におかされてますねぇ。原発も、いきなりポンッ!と爆発するわけではございません。予兆が有り、時間的に相当な余裕がございます。さらに、爆発というのは非常に希なケース。一番確立の低いケースに一番のウェイトを置いて備えるという不毛さに気が付くべきでございます。

で、この「一番確立の低いケースに一番のウェイトを置いて備える」というの、東北から福島の沿岸に新設された巨大堤防群が、その不毛さを表しております。あのね、地震というのは地下に蓄積されたエネルギーが歪みの限界を超えて放出されるもの。つまり、一度大きなエネルギーを放出したら、次の歪みの限界まで同規模の地震は起きないのでございます。これは地学的にも統計的にも証明されている、明らかな原理であり事実でございます。

でね、あと何百年か先にしか起きない大地震のために、慌てて巨大堤防群を作っております。そして、そろそろ巨大地震が起きるかもしれないねという時期には、かの堤防群は既に老朽化して使い物にならなくなっているのですよ。あぁ、これを「不毛」と言わずして何と言う! 地震のメカニズムを知っている人は分かっていたはずですが、本当の事を言えば悪のレッテルを貼られてしまいますからね。ガリレオの宗教裁判を彷彿とさせますねぇ(笑)。

脱原発というのは、本来、何十年もかけて行うもの。それを、震災後、一斉に止めちゃったのですよ。あぁ、これも、「一番レアなケースに一番のウェイト」を置いております。使えるものは何でも使って復興しなければならないというタイミングで、かえって自分たちの首を絞める行いを行ったのでございます。これはきっと、中国やロシアに世論操作をされたのではないかなぁ。あの時期、一気に日本の国力は落ちましたからね。ロシアからはボッタグリ価格の天然ガスを売りつけられるし。

「復興」というのは、どういうことを指すのでしょう。もし「日常に戻す」という意味ならば、かつて原発で潤っていた町が原発再稼働で日常に戻るのなら、それは復興ではないのですか? 脱原発という何十年も先の目標を、今日・明日を困っている町の人達に当てはめるべきではないと思います。遠い目標と足下の復興、このロングレンジとショートレンジを区別した議論がなされると、いいのですけどねぇ。では、では。


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