店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
学校の読書感想文に関して、賛否両論あるそうでございます。子供の頃、苦手だったなぁ、読書感想文。小学校の時、1時限の授業中に1行も書けなかったこともございました。当時、どうして書けなかったのかを一生懸命思い出そうとしているのですが、それが全く分からない。とにかく、読書感想文を書けと言われると、固まってしまっておりました。
固まると言えば、小学校の前、保育園に居た頃のお話。お絵かきの時間には、保育士がどんなテーマを与えようが、飛行機の絵しか書かなかったのを覚えております。何を書けと言われても、必ず飛行機。それを何度も繰り返しているうちに、温厚な保育士さんでもキレてしまったなんてことも、記憶の片隅に微かに覚えております(笑)。
お話を読書感想文に戻しましょうか。小学校・中学校・高校と、国語のテストの点数は特別良かったというわけではございませんでした。思い返して考えるに、どうも、世の中を斜めに見ていた感がある。文学作品を読んでも、チョイト変わった解釈をあえてするようなところがございました。「行間を読む」なんて語がございますが、ワタクシの場合は「行間を読みすぎて妄想に走る」ってな感じでしょうね。
そんなわけで、国語の点数は、それほど高くなかった。というか、「思ったことを書け」という問題で、そのまま思ったことを書いたら思いっきりバツにされたことがございました。子供心にはそれがとてつもなく理不尽でございまして、今でもその悔しさを思い出すほどのトラウマとなっております。ワタクシの学校教育への不信感は、そうやって刻み込まれたのかもしれませんねぇ。
それとね、まぁこれは自分の幼少期を美化していると言われてしまえばそれまでなんですけどね、ワタクシ、小学校低学年くらいから、「将来は、女の子になりたいなぁ」なんて妄想を持っておりました。ただ、これが「正常じゃない」のは子供心にも分かっておりましたよ。ですから、その「正常じゃない」のをことさら隠そう・隠さなければという意識は強く持っていたように覚えております。
今思えば、軽く自閉症的であったかもしれませんね。読書感想文が苦手だったのも、そんな理由かもしれません。昔の自分を思い出しながら、今の学校の先生方にお願いするのは、読書感想文というもの、もっと自由に書かせてあげて欲しいし、書きたくない児童は「書きたくない理由」を書けばいいと思うし、書けない児童には「無理に書かなくていいよ」と言ってあげて欲しい、そんなところでございますね。