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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2020-04-25 【要請なんて数学的には効果ゼロ】

深夜のさだまさしさんの番組で、さださんがこんな事を申しておりました。

「今は要請です。要請ですが、やがて強い要請となり、それが指示になり、やがて法律で強制できる様になってしまう。そうすると、私たちの今まで感じていた自由というものが、重苦しいものになっていかないか?」

さだまさしさん、日本人一人一人が自制ある行動をして、この苦難を乗り越えましょうと締めくくっております。う~ん、理想を語らなければ現実は語れないとは申しますが、「自制だけ」でみんなが幸せになるというのは幻想であることが、数学・行動経済学の世界では立証されております。今日はそれを、紐解きましょう。

ゲーム理論という学問がございます。その中に「囚人のジレンマ」というお話がございます。まず、これをご紹介いたしましょう。

ある事件の共犯者として、AとBが逮捕され、それぞれ別室で取り調べを受けてると想像してみて下さいませ。それぞれの取調官は、AとBに対し、次の様な取引を申し出るのでございます。

2人とも自白:2人とも懲役5年
2人とも黙秘:2人とも懲役2年
自白+黙秘 :自白=無罪、黙秘=懲役10年

さぁこの時、AとBはどういった行動を取るでしょうか? AとBの「懲役の合計」が最も少なくなるのは、「2人とも黙秘」した場合でございます。もし2人が固い絆で結ばれていれば、迷わずこの選択肢を選ぶでしょう。しかし、AとBにはそんな絆はございません。すると、どうなるか?

「自分が黙秘しても、相手が裏切るかもしれない」、そう考えるのでございます。すると、裏切った相手が無罪で自分は10年くらうことになる。そのリスクがありますから、黙秘ではなく自白を選んだ方が、リスクを最小限に抑えられる。相手も同じ事を考えますから、「2人とも自白」という結果に落ちつくのでございます。

ゲーム理論では、「全体の利益」と「個人の利益」を考えるのでございます。全体の利益は、「2人とも黙秘」の場合が最適となる。しかし、各自が個人の利益を最高にしようと行動すると、「2人とも自白」という結果が最適となるのでございます。さぁて、この数学のお話を、「マスクの買い占め」に当てはめてみましょう。

みんなが買い占め・買い溜めを自制すれば、みんなが少しずつマスクが買える。これが、ゲーム理論で言うところの「全体の利益が最適」の状態でございます。しかし、「裏切るヤツが出てくるだろう」とみんなが同じ事を思うのでございます。そして、みんなが自分の損害を最小限にしようという行動に出ると、「みんなが買い占めに走る」という状態に帰結する。これが「個人の利益が最適」になった状態でございます。


囚人のジレンマの結論

みんなで協力すれば集団の利益は最大になるとみんなが分かっていても、各自が個人の利益を最大にしようと自由に行動すると、「みんなが非協力という状態」で安定してしまう。各自が自由である程に、全体の利益は下がっていく。


これ、これですよ。アーティストが理想を語るのは、それはアーティストのお仕事。でも、政治家がそんな理想論で対処しては、絶対にダメ。「自制」とか「要請」など、ゲーム理論の前では屁の様な物。ゲーム理論が示すように、現実社会というのはもっともっと利己的な状態に落ちつこうと動いてしまうものだからでございます。

日本では、「政府が強権」と言うと過敏にいろんな人が反応してしまうのでございます。しかし、この理屈を前提に、みんなが「日本における政府の強権発動」を、もう少し議論してもよろしいのではないでしょうか? 安倍首相1人をやり玉に挙げるのは簡単でございます。しかし、世の中の「仕組み」そのものが変わらなければ、誰が首相でも同じ事が起きるのですよ。問題は、「人」ではなく「システム」なのでございます。

余談ですが、最初のAとBの囚人のジレンマを思い出して下さいませ。AとBは相談することも出来ず、強い絆で結ばれているわけでもなかった。これが囚人のジレンマの大前提でございます。逆に、AとBが相談することが出来たり、強い絆で結ばれていたりしたら、このジレンマは成立いたしません。他人同士で絆と言うのは難しいかも知れませんが、相談は出来ますよね。みんなで情報交換をして、囚人のジレンマに落ち込まないようにいたしましょうよ。では、では。


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