店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
まず、記事の内容を大まかに紹介いたしましょう。その山岡さん、ある日の昼前に、ラーメン屋に入ったそうでございます。まぁ、山岡という名前で思い出されるのが『美味しんぼ』。美食系のお話かとついつい想像しがちですが、今回はそういうお話ではございません。
脱線しちゃいましたね。本線に戻しましょう。で、お客はその山岡さん1人だけ。店内のテレビをふと見ると、折しもイランの報復攻撃の報道をしている。山岡さん、そのテレビを見るために席を移動したそうでございます。
すると、若い女性のウェイトレスさん、「お一人様は、あちらのテーブルでお願いします」と言ってきた。山岡さん、「それは知ってるけど、お客は俺しかいないし、ちょっとテレビを見させてよ」とお願いする。するとウェイトレス、「社長に言われてますから」と頑として聞き入れない。
そこへ現れたのが、40代と思しき店長さん。山岡さん、「融通が利かなさ過ぎるのでは?」と店長に直談判。山岡さんの主張は通ったのでしょうが、そこから、店長さんのカクカクシカジカの理由説明が始まるわけでございます。
その店長いわく、あまりにもワガママなお客が増えたとの事。以前は柔軟に対応もしていたが、頻繁に起きるトラブルでそれも難しくなってしまったとか。こんな体験を元に、山岡さん、「自分さえ良ければいい客」と「言われた通りにしか動きたくない従業員」を取り上げて、日本の衰退を語っておられます。
さて、以上が記事の内容でございます。で、今回、ワタクシが言及いたしますのは、「言われた通りにしか動きたくない従業員」の方でございます。まぁ、「動きたくない」というか「動けない」という場合も有るでしょう。なぜ、そうなるのでしょう?
当店でも、従業員にいろいろルールを言い渡したりいたします。「○○ならば、これは□□してね」といった様なお願いでございます。この時ですねぇ、柔軟に対応しようと思うと、「○○でも、△△の場合は、※※にしてね」といった例外処理がドンドン増えていく事になる。指示は雑多・多岐に渡り、従業員は混乱を極める事になるのでございます(笑)。
ですので、指示を確実に守ってもらおうとすると、例外処理を一切認めないという指示の出し方になってしまう。先述の記事のウェイトレスがそうでございますよね。責任者である店長さんですと、例外処理も含めて柔軟に対処が出来る。しかし、ウェイトレスは責任が取れない(取りたくない?)。結果、例外処理が一切出来なくなるのでございます。
昔、水商売のお店のチーママをしていたとき、接客のやり方について、新人の若い子からとにかく細かく細かく質問されたものでございました。最初は、逐一具体的に説明してましたが、あまりにも些細な事まで聞いてくる。途中から、「お客様の喜ぶ様な選択肢を選びなさい」と答える様になっておりました。
ここなのですよね。「例外処理」が出来るかどうかは、この「お客様が喜ぶ様に」という基本原理を踏まえているかどうか。その基本原理に基づいて行動したのならば、後から説明も出来る。その「説明出来る」ということが、その行為における「責任」なのでございます。
先述の記事の山岡さんが体験した様な「融通の利かない」というシチュエーション、今の日本では増えているのではないでしょうか? これはねぇ、自分で考える力を育まず、模範解答ばかりをさせる長年の学校教育のあり方の、そのツケが今に回ってきている、そう考えられないでしょうかねぇ?