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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2019-12-21 【運命が左右した二つの像】

愛知で散々大騒ぎになった「表現の不自由展」、それが札幌で開催されたそうでございます。地域柄、アイヌ関係の展示物が追加されているとか。あの「平和の少女像」はミニチュアのレプリカで展示されたそうでございます。愛知でも最初からそうすれば良かったのにね。

何かしらギリギリのところで開催に漕ぎ着けたのでしょうか、開催は本日(12/21)1日限りとのこと。また、ネットのYahoo! などでささやかに報道されているだけで、ほとんどニュースになっておりません。この件は、アンタッチャブルな案件になっちゃいましたねぇ。

さて、ワタクシ、この件に関して、もうひとつ注目すべき記事に出会わしたのでございます。12/18付「朝日新聞デジタル」の「『弱き者』象徴する2つの像 高橋源一郎さん歩いた韓国」という記事でございます。有料の記事ですので、内容の一部をかいつまんでご紹介いたします。

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作家「高橋源一郎」さんが、日本大使館前に設置された「平和の少女像」を見るために韓国へ訪れたそうでございます。長く続いた軍事独裁政権に「美術」で対抗してきた韓国の歴史は、美術作品に強い政治的メッセージを載せることを拒まない感覚を生んだと述べています。

その高橋源一郎さん、平和の少女像を訪れる前日に、済州島の聖フランシスコ平和センターに行ってきたとのこと。その敷地の隅にひっそりと置かれている、ベトナム人母子の像(「ベトナムのピエタ」像)を見てきたそうでございます。

愛(いと)おしむように赤ん坊に頬を寄せる母親の周りを、土地の花と水牛が囲んでいる像。ベトナム戦争での、韓国軍のベトナム民間人虐殺を記憶し、犠牲者の鎮魂のための像でございます。この像の作者は、キム・ソギョン、キム・ウンソンさん夫婦、「平和の少女像」の作者と同じ人でございます。

「平和の少女像」とは異なり、この「ベトナムのピエタ」像を受け入れてくれる場所探しは難航し、キム夫妻はやっと済州島のその場所に辿り着いたそうでございます。

同じ作者から生まれ、同じ「弱き存在」を表現した「平和の少女像」「ベトナムのピエタ」なのですが、二つの像は切り離され、片方は多くの韓国民が支持し、片方は見ない様にしている。「このことの意味も考えたい」と高橋源一郎さんは締めくくっております。

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作者のキム夫妻、「平和の少女像」と慰安婦問題との関連には、もはや口を閉ざしております。ワタクシ、あえて、「平和の少女像は慰安婦問題に利用された」と申し上げましょう。すると、キム夫妻の作品には、ただただ、「弱きものへの哀憐の情」が見えてくる。あの平和の少女像でさえ、愛おしくも見えてくるのでございます。

いろいろ問題になってる「平和の少女像」ですが、この像のバックグラウンド、そして作者キム夫妻の動向などを見ると、もう少し、この像と慰安婦問題とを切り離して考える議論が進んでも良さそうなのになと思うのでございます。

愛知そして札幌の「表現の不自由展」では、「平和の少女像」だけでなく、同じ作者の「ベトナムのピエタ」像も並列展示されていれば、また流れが違っていたかも知れませんね。では、では。


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