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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2019-10-07 【一番退屈な授業だったなぁ】

ワタクシが高校生だったころのお話。「漢文」という授業がありまして、授業の冒頭、先生がいきなり黒板にこんな一節を書いたのでございます。

有朋自遠方来

たまたまその日の数字と出席番号が同じだったワタクシが当てられまして、先生曰(いわ)く「読み下せ」と。ワタクシ、この「朋」という時が「明」に見えまして、「アリアケ?」なんて言ってましたら、先生が一喝「これは、トモだろ」と叱られたわけでございます。

その「トモ」という音を聞きまして、ワタクシの脳裏にある一節が浮かび上がる。ワタクシ、次の瞬間、「とも有り、遠方より来たる」と即答! その鮮やかな即答ぶりに意外な顔をする教師、そして、ざわめく教室、ドヤ顔のワタクシ。何十年も前のほんの一瞬の出来事ですが、今だに思い出されるのでございます。

これ、別にワタクシが論語を読破していたとかではなく、この「朋有り遠方より来る」というフレーズが、ウィスキーか何かのCMで使われていたのですよね。幼少期に見たそのCMのフレーズ、たまたま、沈殿物が浮かび上がってくるように思い出されただけなのでございます。

さて、ロックバンド「RADWIMPS」のボーカル・野田洋次郎さんがツイッターで、「返り点で漢文を読む授業って必要? 受験のための科目の様で前近代的に感じる」と発言いたしまして、それに賛否両論飛び交っているのでございます。

返り点というのは、漢文を読む上での「翻訳の技術」でございます。古代より、日本は中国の思想哲学の影響を非常に強く受けておりまして、それもあって、漢文をスラスラ読めるというのは、「男」のたしなみであったわけでございます。

今、現在、中国の思想哲学書・文芸書を世界中で一番読んでいるのは、中国人ではございません。日本人でございます。ただ、原書をいちいち翻訳して読むなんて人は、多分大学の研究者だけ。ほとんどの人は、翻訳された物を読んでいるわけでございます。

それでね、この「翻訳の技術」を高校で教える必要が有るのか? という賛否両論に発展しているわけでございますが、ワタクシ、全く違う観点で、あることに気がついたのでございます。

それは、かつての英語の授業が、この「返り点方式」で教えられていたという事実。ほら、思い出してみましょう。「関係代名詞の後は、先に訳す」なんて教えられた経験はございませんか? これ、漢文の返り点と同じでございます。文頭から順番に理解していくのではなく、日本語の順番に置き換えて理解する方式なのでございます。

ワタクシが学生の頃は、ネイティブな英語を話せる英語教師というのは皆無でございました。ほぼ全ての先生方が、この返り点方式で英語の読解を指導していたはずでございます。もっとも、現在では外国人教師なども増えまして、多分、文頭から順番に理解していくという教え方も増えているのではと、想像するのでございます。

最後まで見て、順序を置き換えて、日本語に翻訳してから理解する。この方式は、「会話」では成立いたしません。長いこと日本の学校での英語教育が、「英会話」という側面では絶望的だったのは、漢文の返り点による翻訳の技術が影響しているのかなぁと感じたのでございます。

そこで、この話題の張本人、野田洋次郎さんはツイッターで「普通に中国語で読める漢文を教えて欲しかった」とも述べております。中国語と英語は文法が似ております。すでに英語堪能な人は同じ要領で読み進めていける漢語を見て、純粋に、こう考えるでしょうね。

返り点で翻訳する漢文の授業。必要かどうかって聞かれたら、返答に困るなぁ。実生活に必要じゃないけど、教養として知っておくと、人生、思わぬところで役に立っているという事は多いものでございます。ただ、ワタクシ達の祖先が発明したこの方式が英語の授業に悪影響を与えているというのは、教育の現場で議論していただきたいなぁと思った次第でございます。

以上、英語の歌をすべてカタカナで覚えて歌うというワタクシが、お送りいたしました! では、では。


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