店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
『表現の不自由展・その後』が再開されました。抽選は何十倍という狭き門で、もし中に入ることができたとしても、多分、一日仕事。午前中しか動けないワタクシには、「見に行くのが不自由展」になってしまいました。
一番話題になっている「慰安婦像」、これを「あの像のどこが芸術だ!」という意見もございましょう。ただね、この像の作者が日本に来ておりまして、テレビのインタビューに答えておりました。あの像の「由来」が、ちょっと一般の認識と外れている。それをご紹介いたしましょう。
正式名称は「平和の碑」、あるいは「平和の少女像」とのこと。空いている椅子に座ることで、少女と目線が同じ高さになるというのが狙いらしい。そのために、台座は極端に低くなっている。傷だらけの素足は女性の不遇の道のりを表し、かかとが浮いているのは彼女の不安感の表現であると同時に、現在の韓国社会への省察でもあるとのこと。
『表現の不自由展・その後』のサイトの写真を見て気がついたのですが、驚いたことに、この像には「影」が有るのでございます。しかも「おばあさん」の形をしている影。多分、世界中の道端に置いてある銅像の方は、この影は再現していないはず。オリジナルのみの影でございます。この影が、年老いてまで続く苦しみを表現しているのだとか。(以上、『表現の不自由展・その後』公式サイトより)
まぁ、全て後付け理由かも知れませんけどね。でも、この作者が頑なに慰安婦に関して言及しないのは、すでにこの像が一人歩きをしており、作者自身、手に余らせているのかもしれない。慰安婦のシンボルだと思うと腹も立ちますが、近代、不遇な人生を送らざるを得なかった女性全てを代表する像だと思えば、まぁ見ていられるかな。
さて、ここからが本題。ワタクシが気に病んでいるのは、この展覧会が一時中止に追い込まれたのが、「脅迫」であったこと。そこには、今の日本に蔓延(はびこ)る、悪しき感覚がございます。それを端的に表現している言葉がございました。紹介いたしましょう。
これでございます。自分が「悪」だと思えば、その対象が「消える」まで追い込もうとする。事件などが起こると、マスコミが伏せている会社名や個人名を探り当て、ピンポイントで攻撃しようとする。時々、同名の会社や個人が間違われて大変な事になるなんてニュースもございます。
なぜこうなるかと申しますと、それは、物事全てを「善悪」で考えるから。そして、勝手な正義が生まれる。しかし、善悪なんて物は、人が10人いれば10の善と悪、そして正義が有る。国が100有れば、100の善悪と正義が有るのでございます。つまり、善とか悪とか正義ってのは普遍的なものではなく流動的なのでございます。
今の日本人が学ばなければいけないのは、この「善悪・正義というのは流動的である」ということでございます。自分たちが「善」と思っていることでも、それを「悪」と思う人が世の中にはいるかもしれない。これは絶対に仕方がないこと。じゃぁ、どうやって折り合いを付けるかと言うと、それは「議論」。そして、落とし所を見つけるのは「政治」の役目でございます。