店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
アメリカ、ワシントン州のある高校は、その校章にキノコ雲をあしらっております。長崎に落とされたプルトニウム型原子爆弾の、そのプルトニウムが作られた場所だから――その街では、日本に落とされた原子爆弾は、街の「誇り」なのでございます。
昨年、幸か不幸か、たまたま偶然に、福岡からその高校に留学した女子高生がいらっしゃいました。校章に疑問を持ちつつも半年を過ごした頃、そのキノコ雲が紛れもなく長崎上空のキノコ雲を意味していることを知り、衝撃を受けたそうでございます。アメリカの学校では、マンハッタン計画を学ぶことはあっても、その犠牲者に関しては教えることはないそうでございます。
今年の5月に、その女子高生の働きがけで、キノコ雲の校章に関して生徒の話し合いの場が設けられたそうでございます。でも目的は、「校章を変える」なんて稚拙なものではございません。そのキノコ雲の意味を、より深く知り合うのが目的でございます。
生徒の話し合いでは、アメリカに根強くある「戦争を終わらせた功労物」という意見も当然ございます。と同時に、あのキノコ雲の下には何万人という犠牲者がいることを改めて認識する意見もあったそうです。ここで、重要なのは、この話し合いでは、「決着」をつけようとしなかったこと。もとより、結論の出る問題では無いのでございます。
話し合いが上手く運んだ理由のひとつに、この学校の先生の考え方もございました。その先生いわく、「両サイドの意見を生徒に知って欲しかった。両方の意見を知ってこそ、成長できる」とのこと。教師として勇気のいる話し合いだったと思いますが、それが実現しちゃうところに、アメリカの「自由」が有るのでございます。(以上、デジタル版朝日新聞より)
もちろん、この学校での出来事は、たまたま条件が良かったのかもしれないですけどね。でも、幼少期からディベート教育を受けているアメリカ人は、違った意見、違った価値観に出会うことを利運だと考えます。そして、センシティブなこの問題に関して、今、日米の高校生が感情を廃し、ロジカルに話し合える時代になっていることを、ワタクシ、嬉しく思うわけでございます。
さて、日韓の問題に関して、日本人は、感情を廃し、違う意見・違う価値観に進んで赴き、ロジカルに考える能力は持ち得ているでしょうか? と考えるに、日韓どちらも、自分を「善」、相手を「悪」として譲らない。同じ向きの永久磁石が永久に反発するように、「善悪」に固執する限り、この問題は永久に反発するしかございません。あぁ、日韓ともに、なんと稚拙であることか。
「徴用工問題とは無関係」と言いつつも、このタイミングで発動して因果関係を探られる稚拙さ。韓国の使者を倉庫に招き入れたり、駐日大使の発言を遮ったり、そのぞんざいな扱いでウップン晴らしをする稚拙さ。警告無しで、いきなりホワイト国除外を突きつける稚拙さ。そもそも、こういったウップン晴らしは韓国のお家芸だったのですけどね。日本が同じレベルで感情的に動いてはいけないのでございます。
ホワイト国除外に関しては、まず警告をして、それで改善されなかったら発動というのが国際的なセオリーだと思いますけどね。使者や駐日大使に対する無礼は、日本側の溜飲は下がったかも知れないけど、余分なツッコミ所を相手に与えてしまい、決してロジカルな対応とは言えない。この一連の日本の動きは、直情的に反日やってる韓国と同じレベルにしか見えないのでございます。