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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2019-06-03 【なし崩し】

若い頃、舞台をほんの少しかじっておりまして、演技の勉強などもしていたというのは、時々お話しております。その演技のレッスンで、よ~く耳にタコができるほどに注意されたのが、「なし崩し演技の回避」でございました。

「なし崩し」ってのを辞書で調べますと、「少しずつ進めること」なんて意味が書いてございます。演技の上で、怒るにせよ、泣くにせよ、ズルズルッといつの間にか怒ってた、いつの間にか泣いてた、そういう演技はしてはいけないという教えでございます。

人間の喜怒哀楽には、三つの段階がございます。「心」「目」「体」でございます。何かお相撲の「心技体」みたいですが、お相撲とはチョイト違います。怒るにせよ、泣くにせよ、哀しむにせよ、まず「心」が動き、「目」で確認し、それから実際の動作(体)に移るのでございます。そう、時間差が有るのです。

「心目体」という順番は不動ですが、時間差はいろいろ。その時間差の付け具合で、喜怒哀楽の表現に無限のバリエーションを与えられるのでございます。そして、実際の演技の時も、他の役者の演技や台詞を受けて、本当に心が動き、その後に目や体が動く。このステップをなぞることでより自然な演技を実現し、そしてそのステップをないがしろにすると、なし崩しになるのでございます。

さらに、「怒る」という表現ひとつにも、心底怒る、八つ当たりする、嬉しいのに怒る、怒った振りをすると、まぁいろんなモードが有る。同様に、笑う、哀しむ、喜ぶという表現も様々なモードがございます。それをあらかじめ台本から正確に読み取っておかないと、後から「あ、あそこ、違ってたなぁ」と悔やむことになるのでございます。

さらに役者というのはあざといもので、どんなシーンにも「バックスイング」を考えるのでございます。例えば、もし「掴みかかる」なんて台本に書いてあったら、そのちょっと前にわざと相手から距離を置き、「近づきながら掴みかかる」なんてことをする。喜怒哀楽にバックスイングを設けることで、より大きく落差のある演技をもくろんだりするのでございます。

長々と演技の技術の一部をひけらかしちゃいましたが、本題は、今、放送中の朝ドラ。非常に生ぬるい内容にも関わらず人気の衰えが無いのは、広瀬すずさんのネームバリューのおかげでしょうか。ただねぇ、ヒロインの名場面生成のために、たびたび脇役陣が意味不明の行動を取らされてるのが、どうも理不尽でねぇ。

放送中の「なつぞら」に限らず、ここ最近のドラマ全般がどうも生ぬるく感じるのは、いろんな意味で「なし崩し」なのでしょうかねぇ。まぁ「なつぞら」の東京編には、ピリリと辛めの演技で「貫地谷しほり」さんが登場。少しはなし崩し感がなくなりますでしょうか?


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