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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2019-04-27 【広瀬すずでなければ即死ドラマだった】

またまた朝ドラのお話でございます。現在放送中の「なつぞら」に、ほのかな迷走臭を感じ始めていて、チョイト心配なのでございます。今日は、そんなお話。

朝ドラを見ていらっしゃらない人のために、超簡略に先週分のあらすじを紹介いたしましょう。本当に、超簡略ですよ! まず、ヒロインのおじいさんと農協が、個人の主張と村全体の主張で揉めておりました。その間に入ったヒロイン、なぜか演劇部に入部し、劇でおじいさんにメッセージを伝えることに。

ヒロインが演じた劇ってのが、やはり個人と村全体との対立がテーマ。「個人」を優先させた主人公の青年は、劇の最後に「なんて俺は愚かなんだ!」と叫ぶのでございます。その劇を観たおじいさん、自分の主張を取り下げて農協に従うことに。そして、おじいさんの口からヒロインへ、衝撃の言葉が発せられるのでございます。

「このわしは、愚かだったか?」

いやぁ、これはおじいさん演じる草刈正雄さんがあまりにも可哀想。まるで集団リンチでございます。ただ、ドラマはこれで終わらない。この後に、ヒロインの見せ場が続くわけでございます。

「おじいさんは愚かじゃないよ、おじいさんは私の誇り、おじいさんに見せるつもりで始めた演劇だったけど、途中からおじいさんのことなんか考えてなかった、自分の為に演じた!」

おいおい、おじいさんの事など考えてなかったって、どんだけおじいさんを追い詰めるんだよ。草刈さんが、もう、かわいそうで、かわいそうで。でも、ドラマの演出は、おじいさんを置いてけぼり。出演者全員がヒロインを取り囲み、ヒロインの名演説に涙ぐむ。おじいさんに抱きつくヒロイン。目から大粒の涙。朝ドラ北海道編の、大団円という演出でございます。


朝ドラ、4週目のこのあたりに来て、「あぁ、広瀬すずの、広瀬すずによる、広瀬すずのためのドラマなんだな」と気付くわけでございます。「個」と「集団」、その両者の利益が相反するという理不尽さで話を進めておきながら、途中から善と悪がはっきりした勧善懲悪にすり替えられてしまっている。ヒロインの「自分の為に演じた」という台詞で、他の登場人物全員が置き去りにされたのでございます。

ここからは、ワタクシの大妄想でございますよ。思うに、脚本家、最初は「個」と「集団」という重いテーマ―にもっとウェイトを置くつもりだったのでしょう。ところが、プロデューサーか何かから、「そんな重いテーマは広瀬すずには似合わない」と横やりが入り、大団円の部分だけ勧善懲悪の分かりやすいストーリーにチョイ変え。そんなことが有ったのやも知れません。

ワタクシの体験談ではございますが、高校とか大学の演劇部に入りますと、やたら「不条理」「理不尽」という単語を連発する先輩が、まぁ1人くらいはいるものでございます。それはね、劇の台本というものが、不条理、理不尽を話の大骨とする場合が多いということもございましょう。なぜなら、「その不条理や理不尽に対し『どう、人間らしく生きるか?』というのが、文学性の大きな一要素だから」でございます。

脚本家というもの、本来なら、そんな不条理、理不尽をもっと緻密に描きたいと願うはずでございます。またまた「おしん」と比較して申しわけないのですが、「おしん」は理不尽の固まりの様なストーリー。その理不尽さに真っ向から向き合い生き抜く女性の一代記という、文学性要素ど真ん中を貫いた脚本なのでございます。

近年、ドラマで不条理、理不尽が、なかなか描かれなくなりました。と同時に、今回の朝ドラの大団円の様に、主人公の心情をぜ~んぶ台詞で説明するなんてシーンも増えました。つまり、「考えなくてもいいドラマ」が増えたのですよね。逆に言うと「考えないと分からないドラマは数字が取れない」ということなのでしょう。

制作側が視聴者に阿(おもね)るドラマが増えました。脚本家などの意思ではなく、プロデューサーやスポンサーなどの横やりなのかも知れません。演技に不慣れなアイドルがドラマに参入して来たのも関係あるでしょう。横やりや忖度に振り回されて、迷走しなければいいのですけどね。では、では。


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