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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-11-18 【分かっても、好きな人】

なんでも、カップラーメンの消費量は青森県がナンバーワンだとか。みそ汁代わりにカップ麺をすするそうでございます。まぁ、あるテレビ番組からの受け売りなんですけどね。その番組内で、カップ麺にマヨネーズをかけて食べるのを紹介しておりました。

食べたことがない者にとっては、チョイト気色悪い。でも、カップ麺、美味しい。マヨネーズ、美味しい。美味しいものと美味しいものをかけ合わして、まずいわけがない。さっそく試してみたのでございます。

実験の母体となるのは、カップヌードル・シーフード味。番組内で食べていた物と同じ物を用意いたしました。マヨネーズは、酸味きつめのキューピーマヨネーズでございます。出来上がったカップヌードルに、マヨネーズをちょっと多めにかけまして、すかさず攪拌でございます。

実食! マヨネーズの酸味をほのかに感じるのでございます。もとより、酸辣湯(サンラータン)とかトムヤムクンの好きなワタクシ、酸っぱいスープは好みなのでございます。そして、まるでミルクを入れたようなまろやかさ。マヨネーズの脂による効果でございましょう。

ふむふむ、まぁまぁ、いける。ぶち込んだマヨネーズがもったいないので、スープは全部飲んでしまう。飲んだ後に、これ、いったい、何カロリーになるのだろうと驚愕に震える。貧乏性で食いしん坊の名古屋薫さん、こんな時でもスープを残せないのでございます。

案の定、食べた後、体がポカポカしてくるのでございます。高カロリーの熱い脂を体の中に流し込むのでございます。ポカポカしてこないわけがない。思うに、寒い寒い青森県でメジャーな食べ方というのも、しごく納得出来るのでございます。

ロシアという国も、マヨネーズの使用量がハンパないそうでございます。ロシアのスーパーでは、マヨネーズは「樽売り」でございます。バケツのような容器にマヨネーズがとっぷり入っておりまして、それを数日で使い切るそうでございます。やはり寒い国、マヨネーズで暖を取っている様でございます。

かつて、「マヨラー」なんて語がございました。何にでもマヨネーズをかけて食べる人のことでございます。ワタクシも若い頃は、「ほぼマヨラー」でございましたね。けっこう多めにかける、マヨネーズ大好きっ子でございました。

ただね、マヨネーズを特集した或る番組の或る言葉で、ワタクシのマヨネーズ信仰は終わりを告げるのでございます。その言葉とは、

「マヨネーズの美味しさってのは、単なる『脂の魅力』に過ぎないんですよね」

マヨネーズ信仰者ってのは、単に、脂の魔力に魂を売っているだけだったのでございます。この言葉を聞いて、行灯(あんどん)の油をなめる化け猫を想像したのは、ワタクシだけでしょうか? いや、ワタクシだけかも知れない。いや、そんなこと言ってる場合じゃない。

結局、自分がマヨネーズに惹かれるそのメカニズムが分かってからは、ワタクシ、特にマヨネーズに拘ることは無くなったのでございます。あれほど好きだった感覚が、あっさり消える。百年の恋も冷めるってやつでしょうか?

ものの好き嫌いってのは、こんな感じの「幻想」なのでしょうね。そのメカニズムが分かると、急に想いが色褪せることもございます。人への想いも、また同じような事が起きたりいたします。そのメカニズムが分かる前までは「恋」。分かっても尚想いが続くとしたら、それが「愛」なのでしょうか? では、では。


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