店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ふむふむ、確かに、変でございます。普段なにげに英語混じり日本語の歌詞を聞き流しておりますが、英語圏の人からすると、変かも。ちょこっと英語が混ざるなんて程度ではない。今や日本の歌曲は、日本語・英語を縦横無尽に使い込んでおります。
思い起こすに、昭和の歌謡曲の時代は、歌詞に英語を混ぜるってのは「かっこつけ」だったのですよね。お洒落な感じもする。「英語で歌える」ということが特殊技能だった時代でございます(ちょっとオーバーかな、笑)。
ニューミュージックというジャンルが台頭してきて、かなり英語が自由奔放に歌詞の中に混ざるようになってまいりました。それでも、発音の悪い人が無理に英語で歌ったりするとボロクソに叩かれるなんてこともございました。
そして、J-POP の時代に入るわけでございます。今や、英語と日本語はボーダーレス。自由自在に使われております。「ボーダーレス」と申しましたのは、もはや「日本語と英語を使い分けてる感覚すら希薄」という、日本人独特の感覚なのかも知れないのでございます。
日本語ってのは面倒くさいもので、ひとつの語にこんなに表現方法が有るのでございます。「コーヒー」って書くと街の喫茶店風。「こーひー」はあまり見ないけど、コジャレた和風喫茶っぽいかな。「珈琲」だと何やら珈琲専門店風な店構え。「Coffee」だとカフェ風のお店、またはコーヒーのチェーン店って感じ(個人の感想です、笑)。
個人差は有るのでしょうが、この使われてる文字種で違う印象を感じ取るってのは、ネイティブで日本語を使っている人だけの感覚ではないでしょうか? そして、平仮名、カタカナ、漢字を使い分ける感覚の延長として、英語をも使い分けていると。
ですから、英単語や英語のフレーズが、ほんと、シームレスで歌詞の中に紛れ込んでくる。日本人の感覚だと「文字種が変わった」くらいにしか思わないのですが、英語圏の人だと、「何語の歌なの?」という印象になるのでしょう。
あと、英語の持つ「スピード感」も好まれるのでございましょう。例えば、「私はあなたを愛す」という日本語にメロディをつけると、「ワタシハアナタヲアイス」と11個の音符を割り当てることになる。それが英語だと、「I Love You」と3つの音符で表現出来る。このスピード感の違いは大きいのでございます。
この関係で、日本語の歌詞というのは「選りすぐりの最小限の単語を割り当てる」という和歌や俳句のような”おぼろげ”な表現になるのでございます。一方、英語はワンフレーズに多くの情報を盛り込めますので、細かい表現を重ねた写実的な表現が出来ると同時に、ひとつの音符で感情を表現しきるということも出来る。