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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-08-16 【全く逆だから、面白いし、難しい】

お久しぶりでございます。チョイトお休みを頂いてしまいました。

前回、日本語は表現のふところが大きく、J-POP ではボーダーレスに日本語と英語が使われていると申し上げました。言葉足らずで曖昧な表現になり易い日本語と、叙述的でダイレクトかつスピード感の有る英語とが良い対比になっているということですよね。

これとは別に、さらに日本語が持つユニークな性質がございます。それは「アクセント」。アクセントってのは、単語の音が強くなる部分。アクセントの場所で同じ単語でも意味が変わったりするのでございます。そのアクセントの構造が、全く別物なのでございますよね。

みなさまお馴染みの日本語のアクセント、これは「高低アクセント」と言って音の高い・低いでアクセントを区別します。「雨」と「飴」が聞き分けられるのは、雨が「ア高・メ低」で、飴は「ア低・メ高」というアクセントだから。まぁ、方言によってこれは逆になりますが、音の高い低いで区別しているのは同じでございます。

音の高さというのは、音楽で言うと音符の上下の変化、つまり「メロディー」なのでございます。日本語ってのは一つ一つの語に固有のメロディーが貼りついていて、まるで「歌」の様な言語なのでございます。

この性質は、作詞とか訳詞する時に、いろいろ面倒くさくなるのでございます。単語固有のメロディーに沿ったメロディーラインにしないと歌詞の意味が通じにくくなったりするのでございます。先ほどの「雨」で言いますと、「雨」という歌詞に逆アクセントの「低・高」というメロディーラインを付けたりすると、歌を聴いている方は「雨」ではなく「飴」と聞こえてしまうのでございます。

こういった性質がありますので、作詞・訳詞をする人は、曲のメロディーラインと単語のアクセント両方をを考慮しながら、出来るだけ収まりの良い単語を探したりするわけでございます。と、長々と説明してまいりましたが、実は、この「高低アクセント」の言語は、世界的にもかなりの少数派なのでございます。

では、次に英語の説明をば。英語のアクセントは「強弱アクセント」(強勢アクセントとも)。ほぼ「音の強さ」つまり音量がアクセントとなるのでございます。音楽で言うと「フォルテ」とか「ピアニッシモ」とか言うやつでございます。

これは、音符の高い・低いと干渉しませんので、単語のアクセントを気にせずかなり自由なメロディーラインを取ることが出来る。「歌詞にメロディーを付ける」「メロディーに歌詞を付ける」という作業では、圧倒的に英語の方が自由度が高いのでございます。

以上、まとめますと、日本語ってのは普通に話しているだけで既に「歌」になっている言語なのでございます。一方英語は、よりパーカッシブ、つまり「打楽器的」な言語なのですよね。この両者の違いを楽しめるのも、非情に希有なアクセントを持つ日本語に馴染んでいるからこそなのでございます。

映画『アナと雪の女王』の『レット・イット・ゴー〜ありのままで〜』という曲で、松たか子さん歌う日本語バージョンだけが異常に高い人気を得るということがございました。各言語版をメドレーで聴いた時、日本語だけが他の言語と全く違う性質を持っているゆえに、ひときわ新鮮に聞こえたのかも知れません。

日本ってのは、世界中の料理を日本向けにアレンジして、現地よりも美味しいものを作り出してしまったりする。今や英語に関しても、ひらがな、カタカナ、漢字に続く4番目の表現として取り込んじゃってる感がございますねぇ。まぁ、「日本流」にしてしまうことが英語教育の妨げになってるのかも知れませんけどね。では、では。


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