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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-08-05 【新しい風】

先日は、学校がもっと自己責任を乱用すべきだと申しました。ただねぇ、日本の学校がその様な路線に走れないのは、古来から固まった日本人の価値観に起因しているのですよねぇ。それはね、「ムラ的価値観の共有」というやつ。「ムラ」ってのは「村」のことでございます。

日本の稲作ってのは、田植え・刈り取りなんてのを村人総動員でやるわけですよ。田に水を張るのだって、村人全員が同調する必要が有る。異端者がいると、村の存亡に関わるわけでございます。それで、古来より、日本には「全員が同じ価値観を共有する」という極端な全体主義が染みついているのでございます。そんなこともありまして、学校が必要以上の管理主義からなかなか脱却出来ないのでございます。

さて、今日のお話は、「挨拶」がテーマ。日本人特有の「ムラ的」な考え方が関係してきます。そこで思い出して欲しいのが、ちょっと前の堀江貴文さんのエピソード。新幹線の中で前の乗客が座席を倒してもいいか聞いてきたことを、堀江貴文さんは「うぜえ」と考えた。これを考察するのでございます。

ここには二つの価値観がございます。「ひと言挨拶を交わすべきだ」という価値観と、「座席を倒すなんて自由だ、いちいち挨拶なんかするな」という価値観でございます。端的な言い方をすると、「挨拶至上主義派」「挨拶敬遠派」と言えるかなぁ。

例えば、一年中マスクをしている若者が増えております。あれなどは挨拶敬遠派。口元を隠すことで、社交辞令の愛想笑いなどを極力避けているのでございます。逆に、コミュニケーションの啓発本などでは、「ソリの合わない人でも挨拶だけは交わしておきましょう」なんて書いてある。こういったのは挨拶至上主義派の考え方に基づいてる。

古来より日本は、挨拶至上主義の国。幼少期から叩き込まれますので、その結果「日本人は礼儀正しい」なんて評価を世界中から受けているわけでございます。しかし、最近は挨拶敬遠派が着実に勢力を高めているのも事実。そして二つの価値観が衝突したりして、堀江貴文さんのエピソードなどが勃発するわけでございます。

では、この二つの価値観、ニューハーフの世界ではどうなのか。ワタクシ、今まで時々申し上げておりますが、本来、ニューハーフの世界というのはガッチガチの体育系。コッテコテの挨拶至上主義の業界でございました。しかし、最近はチョイト風向きが変わってきている。女装子・男の娘といった新しい風が吹き込み、挨拶敬遠派の人も増えているのでございます。

まぁ、飲食店はチームプレイでの接客ですので、価値観の共有とか挨拶ってのはどうしても必要となってくる。ところが、風俗ってのはある意味個人経営の集まりのようなもの。全員が同じ価値観を共有するという必要性が最初から希薄。当然、挨拶の必要性も、微妙になってくるのでございます。

ここでね、挨拶を必要とするかどうかってのは、「全員が同じ価値観を共有する必要があるかどうか」と言い換えられるのでございます。菅野仁さんは著書『友だち幻想』でこの二つを、「ムラ的共同体」「NEO(ネオ)共同体」と名づけております。ここでもその名称をお借りすることにいたしましょう。

10年くらい前に、関東や関西の老舗ニューハーフ風俗店が、ポツリ、ポツリと消えていった時期がございます。思い返しますと、ニューハーフ業界に新しい風が吹き始めた時、ムラ的共同体の店内にNEO共同体という新しい風を吹き込ませることが出来ずに消えていったのではないか、そう想像するのでございます。

逆に、新しい風が吹き始めた後に立ち上がったお店は、ムラ的共同体という業界の因襲に捉われる必要が無い。そこで、古い体質のお店が苦しみ、新興店舗が新しい波に乗るという最近のニューハーフ業界の図式が出来上がったのではないでしょうかねぇ。

ワタクシも、5年くらい前かな、この図式に気がつきまして危機感を感じた時期がございます。ただねぇ、なまじっか長くやってますと、ムラ的共同体の精神で店内がガッチリ固まっている。従業員と言い争いをすることも時々ございました。少しずつ風通しを良くし、新しい風を入れていったのでございます。

本音を申しますとね、お店の求人欄で「当店は朝夕の挨拶をしなくていい店です」なんてキャッチフレーズを盛り込みたいくらいに考えておりますが、まぁ、未だに挨拶至上主義の考え方は根強く残ってますので、そこまで過激にはなれない。でも、5年前に比べたらはるかに風通しは良くなってるかな。時間のかかることと分かっておりますので、少しずつ、少しずつ、風通しの隙間を広げております。

ムラ的共同体の考え方の人、NEO共同体の考え方の人、その両者に必要なのは、「違う価値観と共存する寛容さ」、そして「許容か拒絶の両極端ではなく、適度な距離感を保ち、気の合わない人とも一緒にいる”技術”」でございます。まぁ、菅野仁さんの著書からの受け売りなのですけどね。

ワタクシも10年くらい前までは、「嫌な相手でも、朝夕の挨拶だけキッチリやって、挨拶以外は接点を持たなければいい」と新人に指導しておりました。でも今は、本心を小さな声で言いますと、「挨拶したい人達だけで交わせばいいんじゃね」と思っております。まぁ、まだほんとに、小さな声でしか言えないですけどね。

長くなっちゃったので、そろそろ終わりにいたしましょう。最期に、参考文献として菅野仁さんの著書をご紹介しておきます。人との距離感の取り方で悩んでいらっしゃる方には、良い参考書となることでしょう。では、では。


『友だち幻想』

菅野仁著 筑摩プリマー新書 定価¥740+税


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