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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-06-09 【小さなボランティアのススメ】

秋葉原の無差別殺傷事件が起きてから、10年も経つのですね。昨日、その事件の献花台に多くの花束が手向けられたそうでございます。そんなニュースを見たのもつかの間、今日、新幹線の車内で似たような事件が発生いたしました。男性が1人、被害に遭われて亡くなられたとのこと。やるせないのでございます。

自分は孤独だ、自分は愛されてない、自分は嫌われている、自分は差別されている...そんな気持ちが鬱積(うっせき)していったのでしょうか。そして、家族が悪い、会社が悪い、社会が悪い、世の中が悪いと恨み辛みをつのらせ、「腹いせ」をしたくなる。まったく、どうしようもない生き方でございます。

人はみな、「○○のせいで俺の人生はこうなった」と自分の不遇を他人のせいにしたがるものでございます。しかしね、条件の善し悪しはあれども、それまでの人生の中で無数の「岐路」で様々な選択をして来た結果が、今の自分の人生なのでございます。そう、自分の人生は、すべて自分の責任。他人のせいにするのはお門違い。無関係の人に怒りをぶつけるなんて、もってのほかでございます。

先日、人が愛を獲得(学習)する4つの過程のお話をいたしました。この犯人の心の中に、せめて「無償の愛」のかけらでも有れば、こんな事件は起こらなかった。無償の愛とは、自分から世の中に接点を求める行為。ところが、この犯人のような人は、愛されること、接してくれること、そんな「貰うこと」ばかりを求め、自分から与えようとはしない。そして、世の中との接点を失い、疎外感を蓄積していく。

この犯人がどんな人生を送ったかは知りませんよ。ただ、どこかで無償の愛のたたき台を学び損なったか失ったか。そして、心の歯車がひとつ欠けたまま修復できずに成長してしまったのでしょう。ある意味、「心の障害者」でございます。見た目で分からない、本人も気がつかない、そんな潜伏した障害だからこそ、なおさらタチが悪いのでございます。

無償の愛のたたき台を学び損なった人、あるいは失ってしまった人が、後から学習する方法がございます。それは「ボランティア」。ボランティアと言っても、東北へ行ってこいと言うわけではございます。小さなボランティアは、日常生活に溢れかえっております。

買い物をして、レジで「ありがとう」と言う。自分より急いでいる人がいたら、順番をゆずる。傘がなくて困っている人がいたら、傘を貸す、あるいはあげてしまう。ぶつかりそうになったら、自分から道を譲る。もうね、無数にございます。つまり、「やったところで何ひとつ自分が得をするわけでも無い」といった行為は、全部、ボランティアであり無償の愛なのでございます。

学び損なった無償の愛を、理性の力で強制的に体感させるのでございます。心が荒んでいる人には、若干、難しいでしょうねぇ。でも、難しいことだからこそ、小さな、小さなボランティアから始めて行くのでございます。いつもニコニコしている、ただそれだけでも、小さなボランティアなのですよ。

秋葉原や新幹線の事件を見て、「私もあんな事件を起こすかもしれない」と少しでも思った方、どうか、小さなボランティア練習法を実践していただきたいと思います。与えることの快感が芽生えたら、もう「自分は孤独」だとかは思えなくなる。自分や他人の人生を悲惨なものにさせないためにも、どうか、試しにやってみて下さいませ。

子供の時はさ、道徳の教科書に書いてあるような「親切に」「人に優しく」「人の嫌がることを進んでやれ」なんてのを小馬鹿にしておりました。思春期以降も、「マジメかよ! そんなバカ正直、かっこ悪い」と気取っておりました。

でもね、年を取って、人の心の理(ことわり)が分かってきますとね、そんな教科書的な文言が、実に理(り)にかなっているというのが分かってくるのでございます。年を取らないと分からないというのも悔しいですが、まぁ逆に、悟りきった若者というのも、あまり魅力がないかも。人生というもの、うまい具合に、「順番」というものが決まっている様でございますね。では、では。


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