店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
ピアニストの成長ドラマなのですが、そのピアノを弾くシーンの音に、まぁ手が込んでおります。登場人物それぞれに、別のピアニストをあてがうという念の入りよう。さらに、中国人キャラには中国人のピアニストを。劇中のポーランド人、フランス人にもそれぞれポーランド、フランスのピアニストを選定するという拘りよう。
主要キャラの小学生期には、オーディションで選ばれた小中学生のピアニストを起用しているとのこと。放送は今日の分から青年期に入っておりますが、青年期にはまた別のピアニストが用意されているのでしょう。聞き分けられる人ならば、キャラクターごとにピアノ演奏の曲想が違って聞こえるという何ともマニアックなアニメでございます。
さて、もうひとつ驚かされるのは、演奏している場面の手の動きと音が合っていること。押される鍵盤まで正確に再現されております。これは、ひと昔前のアニメでは、至難の業でございました。多分この部分は、楽譜か音声をAI (人工知能)で処理してコンピュータグラフィックスで書き出しているのかも。ここまで鮮やかにやられると、清々しいのでございます。
1946年と言いますと、昭和21年。ちなみに、ディズニーが「白雪姫(1937)」「ピノキオ(1940)」「ダンボ(1941)」といった作品を出して軒並みヒットさせていた頃でございます。日本と戦争をやりながらアニメーションを作っていたとは、とんでもない国に戦争を吹っかけたものでございます。
「ピアノの森」での非常に高度に処理されたピアノの演奏シーンですが、ピアノを実際に弾くワタクシとしては、まだまだその演出には物足りない。何が物足りないかと申しますと、「息づかい」が感じられないのでございます。コンピュータ処理の「現状の」限界が、そこに有るように感じられます。
先日、NHKがガンダムを特集した番組を放送しておりました。そこに出演していた監督さんが、「アニメの動きには、自然に見える『勘所』が有る」というようなお話をしておりました。立ったり、座ったり、寝転んだり、そういった自然な動作を「自然以上に自然に」見せるための独特のタイミングなのでしょう。
「自然以上に自然に」と申しましたが、日本のアニメには、この「自然以上に自然」という感覚が有るのでございます。一種のデフォルメ(変形)でございますね。人の動きを物理の法則通りにコンピュータグラフィックスでアニメ化しても、なぜかあまり自然には見えません。遠近法を正確にコンピュータグラフィックスで描画しても、なぜか奥行きがあるだけの淋しい絵になってしまう。
色には、実際の色と記憶色とが違ってくるという現象がございます。多分、人の動きや情景の見え方にも、同様の事が起きているのでしょう。そんな、自然以上に自然に見せる「勘」を、日本のアニメ職人さん達は、長年、蓄積してきたのでしょうね。日本のアニメが、未だに「手書き」を重要視する理由がここに有るのかもしれません。
ただね、技術はどんどん進化しておりまして、「物理法則で描いたコンピュータグラフィックスに手書きの要素を加えるプログラム」なんてものが、今や当たり前になってきております。いやぁ、恐い、恐い。手書きにこだわったジブリの様な作品が、いつの日か、オートメーションで作られてしまうのでしょうかねぇ?
さてさて、「ピアノの森」の演奏風景の物足りなさ、ワタクシは分かっております。実は、音楽家の動きは、必ず、「放物線運動」や「振り子運動」をしてまして、それが表現されていないのでございます。人間がリズムを取る時って、無意識にこの自然の物理法則に沿って体を動かしちゃうのですよね。むしろ、等速運動でリズムを刻むという作業、これは人間にとって拷問でしかございません。