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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-02-06 【片割れを捨てたら、無くした方が見つかるなんてことも】

また北陸の方で大雪のようですね。今年は雪の当たり年のようでございます。いや、当たり年という表現は良くないですね。雪の厄年とでも言うのでしょうか。数年前にも雪の厄年がございましたが、その年に、ワタクシにこんな出来事がございました。

ある雪の日の朝、お店の近くを歩いておりましたら、歩道に落とし物がございました。手袋でございます。それも片方だけ。紫と白のツートンカラー、ちょっとお洒落な毛糸の手袋でございます。こんな手袋を使う人は、靴や洋服もきっとお洒落をしているだろうなと思わせるような手袋でございました。

ワタクシ、拾い上げて、かたわらの街路樹の支柱の上のそっと置いたのでございます。もし、落とした人が探しに来ても、その方が見つけやすいだろうし、何しろ、そんなお洒落な手袋が通行人の土足で汚されてしまうというのが残念でなりませんでしたからね。

手袋を残し、ワタクシ、急ぎお店に戻ったのでございます。そして、ビニール袋と針金を手にして、またその手袋の所へ戻ってきたのでございます。落とした人、まだ探しに来てないようでございます。あるいは、落としたことに気づいてないのでしょうか。ワタクシが置いたままに、その手袋は残っておりました。

ビニール袋は手袋を入れるため。針金は、その袋を街路樹にくくり付けるため。雪が雨に変わりそうでしたから、雨に降られてもいいようにビニール袋に入れたのでございます。これだけ仰々しくぶら下げておけば、きっと気づく事でしょう。場所は地下鉄の出口のすぐ近く。落とした人は、通勤でよく通る道のはず、そう考えたからでございます。

ぶら下げた張本人としては、どうしてもその手袋が気になるのでございます。ワタクシ、毎日、わざわざその道を通るようにして確認しておりました。1週間程経った頃でしょうか、手袋、無くなっております。針金も外してありましたので、風で飛んでいったというわけではなさそうでございます。本人の手元に戻ったのか、あるいは第三者が処分してしまったのか、それは分からないままでございます。

世の中には変わった研究をする人が居るようで、「片手袋」を研究する人が今日のマツコ・デラックスさんの番組に出演しておりました。片手袋というのは、落とし物あるいは忘れ物として街中に放置された片方の手袋のことでございます。

その人、数年前に「タモリ倶楽部」にも出演しておりましたね。彼いわく、落ちている片手袋は「悲哀」、見つけやすい場所に動かされた片手袋は「慈愛」だそうでございます。う~ん、実によく分かる。ワタクシ、落ちている片手袋を見過ごせないタイプでございます。

ワタクシの場合、落ちていた物がマフラーや帽子だったら、手袋ほどには悲哀を感じないのでございましょう。「どうして手袋だけ?」と自問するに、手袋は、片方を失うと、手元に残ったもう片方が残ってしまいますよね。ペアになった物が生き別れるというのに、悲哀を感じるのではないでしょうかねぇ。マフラーや帽子だったら、「拾った人が、そのまま使うかも」なんてことも考えてしまいますからね。

じゃぁ、ペアのものだったら「片方の靴」はどうなんだということになりますが、もし片方の靴が落ちていても、悲哀は感じないのでございます。というか、「靴、片方で、そこからどうやって帰った?」とか考えると、悲哀というよりは喜劇でございますよね。やはり「悲哀」には片手袋が似合うのでございます。

その悲哀に、慈愛で答える人も世の中には多いとのこと。街中で見つかる片手袋の半数は、誰かが動かしたものだそうでございます。まぁ、ワタクシみたいに、わざわざビニール袋と針金を取りに行く程の人は少ないでしょうけどね。

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?」という名文句の詩がございますが、あの紫の手袋はどうなったのでしょうね? 冬が来る度に、思い出したりしております。では、では。


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