店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
佐藤琢磨さんの運転で思ったのは、ハンドルさばきもアクセルも、自信を持って思いっきり操作していること。「ここまでは大丈夫」「これ以上やると滑る」という限界点を熟知しているから出来る操作。一般の人はわざとスピンさせるとかやりませんから、その限界点も分からず、全ての操作が控えめになってしまうのでしょう。
先日の大雪の日、街中で多くの車が立ち往生する羽目に陥ったのでございます。ワタクシなんかは「何でそんな日に、わざわざ車で出かけるかなぁ」と呆れておりましたが、あれも、自車の装備の「限界点」が分かっていないために、見切り発車的に車で出ちゃうのでしょうねぇ。
「備え」というのは、常にその「限界点」が分かっているかどうかが重要なのでございます。「何ミリ以上の雨で道に水が溢れ出すか」とか、「鉄道がどのくらい遅れると、駅が人で飽和してしまうか」とか、限界点が分かっていれば、その限界の前に手を打つことが出来るのでございます。
本日のニュースより、あの福島第一原発は、すでに2002年に、津波を想定したシミュレーションを要請されていたそうでございます。2011年の大震災の9年も前でございます。たとえ強引にでもそのシミュレーションがされていたらと思うと、全く不運としか申せません。
その結果、あの原発は津波に対する「限界点」が露(あら)わにされることもなく、2011年を迎えてしまったのでございます。低い限界点は、時として「欠点」と同義となってしまいます。どんな物にも欠点はございます。重要なのは、その欠点が「露わになっているか、隠そうとされているか」なのでございます。
低い限界点は「欠点」と称されてしまいますので、人はよくそれを隠したがったり、あえて見ないようにしたりするものでございます。欠点は欠点なりに限界点まで使って有効利用するべきなのですが、その限界点が分からないと、人は自分の「長所」に頼るようになるのでございます。
すると、欠点を放置したまま、長所だけで強引に事を運ぼうとする。欠点は何の対処もされず残っておりますから、その強引さが「悪目立ち」になったり、あるいは「傲慢」と感じられるかもしれない。ある程度うまく行っても、欠点が露呈したときに、(原発の様に)今までの努力が水泡に帰することもある。
ロールプレイングゲームをやると、各キャラクターごとに細かい設定がございますよね。攻撃力の強いキャラ、防護向けのキャラ、治療に特化したキャラとか。人の限界点もあれと同じ。キャラごとに、高い限界点と低い限界点がそれぞれ有って、それが各キャラの「個性」となっている。