店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
その猿之助さんが、NHKの『LIFE』というバラエティに出演しておりました。ウッチャンこと内村光良さんと歌舞伎コントを演じておりました。いやぁ、感動! 超感動でございました。妙に生々しかったのはスタジオ収録のせいでしょうか。観劇や舞台中継とは違った生々しさが有ったのでございます。
演技の授業では、「まず感情を作れ」と言われるものでございます。しかし、突き詰めていくと、演技というのは「体のどの部分をどんなタイミングで動かすか」ということに尽きるのでございます。この「動かし方」さえ完璧に身についてしまえば、逆に下地の感情は必要なくなるのでございます。
演技っていうのは、演じる側が過度に感情が入ると、スベっていく、演技が空回りするのでございます。逆に、全然気にも止めていなかった力の抜けた部分が、妙に観客に伝わったりなんてこともございます。朗読なんか、そうですよね。感情を入れず淡々と読み進めた方が、聴いている人に伝わるのでございます。
さて、言い古された例えですが、「カタヤブリ」と「カタナシ」という語がございます。漢字で書くと「型破り」「形無し」でございます。そう、この歌舞伎の「型」が語源でございます。型を追及した上であえて破るのが型破り。最初から型が無いのが形無しでございます。
型破りは「技術」、形無しは「単なる癖」でございます。その違いは、コントロールされているかどうか。たとえ型を破っても、基準としての型を内に秘めていれば、コントロールは出来る。基準を持たない形無しでは、コントロール不能に陥るのでございます。
演技でも、音楽でも、あるいは多分スポーツでも、「型」「型破り」「形無し」の区別は重要でございます。そして、(ここからが本題だったりする)接客業でも、これ、重要だったりするのですが、意識して行動する人は、少ないかなぁ。
重要なのは、「まず型を極めなければ、型破りには進めない」ということ。型破りの接客をしている人には、必ず「型」という基準を持っているのでございます。でも、その型破りを見た人が「形だけ」真似ると、内に秘めた基準が無いので、形無しとなってしまう。原理は非常に簡単なのですが、これがなかなか気づけないのでございます。
コンビニやファーストフード店では、接客のマニュアルが徹底しております。あれも「型」。ただ、多くの店員は、形だけなぞったらそれ以上を追及しない。あ~ぁ、もったいないねぇ。あの紋切り型の挨拶文を極めると、その先には型破りな接客が見えてくるというのにねぇ。
デパートの店員、バスガイド、キャビンアテンダントなどは、この「型」をとことん追及してる。むしろこの場合は、「個性を消す」という要素も有る。接客の型そのものが、その店舗や企業の「品質」なのですよね。品質ですから、ばらつきは困るのでございます。