«前の日記(2017-07-11) 最新 次の日記(2017-07-13)» 編集

薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

2008|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|10|12|
2015|01|03|12|
2016|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|

2017-07-12 【感動を制する者が、接客業を制する】

本日の『探検バクモン』という番組、テーマは「立川談志の家」でございました。弟子の志らくが、今は亡き師匠を語るこんな言葉がございました。

「落語は、笑いが目的ではない、笑いは「手段」であって、その先に有る「貧乏」「飢え」「人間の業」「非常識」など、それを描くのが落語なのです」

笑わせることは、最終目的ではなく手段だそうでございます。最終目的は、人間の業や非常識とかを伝えること。そう、こういったものは「文学性」と呼ばれるものでございます。落語の文学性を見据え、それをキッチリ弟子に教え伝えた師匠の真心(まごころ)が感じられるのでございます。

さ~て、本題はここから。接客業でも、こういった「手段」と「目的」はございますよ。ただ、手段・目的って言葉ですと、チョイト味気ない。ということで、「過程」と「結果」という言葉に置き換えてお話いたしましょう。始まり、始まり~~

飲食店で働いていた頃、若い人にこんなアドバイスをよくいたしました。

「飲食店は、お酒を売ってナンボ。しかし、お酒を飲むだけだったら、コンビニで買えばすむことでしょ。お客様がわざわざ高いお酒を飲みに来ていただけるのは、飲食店には『真心』があるからです。私たちが本当に売っているのは、お酒ではなく真心。でも、真心ではお金を頂けない。だから、仕方なく(と言うのも変ですが)、お酒を売ってるのです」

と、まぁ、こんなことを若い後輩にドヤ顔で話しておりました。お酒を飲ませるというのは、手段であり「過程」。その先に有る目的であり「結果」は、真心を伝えるということ。では、どうやって真心を伝えるか? そこには、お酒を飲ませるという過程での「美学」が関わってくるのでございます。

いかに美しい仕草でお酒を作り、差し出すか。おかわりを聞くタイミング、聞き方。お酒を美味しくする話題や雰囲気。そして、様々な気配り...飲ませる・酔わせると過程をいかに美しく作り込むか、そこに、飲食店そしてホステスの美学があるのでございます。

この美学によって、お酒に「付加価値」が付くのでございますね。コンビニの値札がお酒の実質的な価値だとすると、飲食店での結構な金額のお会計は付加価値。この付加価値に「価値がある」と見いだせるから、お客さまはその会計に納得されるのでございます。

お酒ですと、「市場価格」と「飲食店のお会計」との間には大きな差がございます。ですから、この付加価値の考え方は理解しやすい。ところがですよ、風俗店ですと、(料金の相場というものはございますが)「セックスそのものの市場価格」なんてものはございません。そこで、付加価値という考え方が見えにくくなるのでございます。

風俗店での「売り物」は、「ヌキ」でございます。ここで、このヌキの付加価値を考えられるかどうかで、売れる風俗嬢と売れにくい風俗嬢とに分かれるのでございます。先ほど申しましたように、付加価値というのは結果までの「過程」でございます。つまり、ヌキは「過程」であって、そこにどれだけの美学を持っているか、これこそが風俗嬢の真価なのでございます。

これがね、飲食店ですと他の従業員の接客を見て学ぶことが出来る。しかし、風俗店ではお客さまと一対一。他の嬢を見て学ぶということが出来ないのですよね。それで、「過程の重要さ」になかなか気づけないままになる嬢も少なくないのでございます。

ヌク過程の中には、「ヌクまでの過程」と「ヌイタ後の過程」が含まれております。ヌクまでにどんなプレイをするかも重要ですが、ヌイタ後にどんな接し方をしてあげるかも、同じくらい重要。ヌイタ後は、男性の心情はデリケートになっております。その心情に接するのは、風俗嬢の真心であり思いやり。

そう、落語が文学性をその結果としたように、風俗嬢の「結果」は真心であり思いやりなのでございます。これを結果とせず、ヌクことを結果としてしまうと、付加価値はゼロ。付加価値の付いている接客とゼロの接客があれば、お客さまは当然、付加価値のある嬢に流れる。当然のことなのですが、意外と、これに気がつかない風俗嬢は、(え~と、言葉を選びますよ、笑)チラホラいらっしゃいます。

文学性とか、真心とか、これらは「感動」に通じるものでございます。様々なシチュエーションにおいて「何を結果とするか?」という命題を追及すると、行き着くところは「感動」なのかもしれませんね。ワタクシも、感動のある電話番を追及していくのでございます。「どんな電話番よ!」、とツッコミが入ったところで、失礼いたしましょう。では、では。


«前の日記(2017-07-11) 最新 次の日記(2017-07-13)» 編集