店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
20代後半、舞台活動をしている頃、オーディションに通りまして、ポツリ、ポツリと舞台に出たことがございました。もちろん、ほとんどセリフの無い「その他大勢」の役。ミュージカルでは「コーラス」と呼ばれる人達でございます。
そのある舞台稽古でのお話。ワタクシが自分の台詞を言おうとして舞台の前面に出ようとしましたら、あるベテラン俳優さんが、どうも稽古場での立ち位置と違う。そのせいで、ワタクシが前に出られない。かき分けて出て行くなんて、お話の流れ上、実に不自然。慌てふためいて、回り込んで取りつくろったのでございます。
さて、その日の稽古終了時、ワタクシ、そのベテラン俳優さんに声をかけたのでございます。いやぁ、若いというか、知らないというのは怖ろしいこと。気軽に「あそこ、前に出られないので、立ち位置ずらしてもらえませんか?」と...
殴られました。いや、役者が役者をグーで殴るわけはございません。言葉で殴られたのでございます。相手はテレビにもちょくちょく出ているベテラン俳優。こちらは、オーディションでかろうじて引っかかったその他大勢。激しい叱責で打ちのめされたのでございます。
もうね、ウンチちびりそうな位に怒られたので、何を言われたか覚えておりません。ただ、はっきりと気がついたのは、「入ってはいけない線を、ワタクシが越えてしまったこと」でございます。舞台俳優も、りっぱな職人でございます。職人として、譲れない領域が有るのでございます。
非常に恐い思いをいたしましたが、これは貴重な体験でございます。「一線(いっせん)」がこれで分かるわけでございますから。この線までは、大丈夫。これを超えると、アウト! これが一線でございますね。この一線というやつ、実に重要なのでございます。
例えば、車の運転では、スリップすることによって「これを超えるとスリップするんだ」という一線が分かる。一線が分かっていれば、スリップしない運転が出来る。F1レーサーなどは、この一線のギリギリまで使って、コーナーを曲がっていくわけでございます。
ものが壊れる一線もございます。ガラスを割ったり、金属を曲げてしまったり、そんな経験を重ねて、ものが壊れてしまう一線を、人は感覚の倉庫に積み上げていくわけでございますね。そして、その一線を越えないように、絶妙の力加減で物を扱っているのでございます。
そう思うと、そのベテランさんに言葉で殴られたのは、実に実に貴重な体験。ワタクシはそこで、貴重な貴重な「一線」を会得したのでございます。次からは、その一線を絶対に越えないように行動しますし、レーサーがコーナーを攻めるように、必要であれば一線ギリギリまで迫る接し方というのも出来るのでございます。
世の中、「傷つきたくない人」が増えちゃって、怒られる・叱られるということを極端に避ける人が少なくございません。けれど、それで貴重な「一線の会得の機会」を失っているとしたら、実にもったいないことでございます。
逆に、怒る・叱る側の「一線を会得させるやり方」も重要でございます。先ほどのベテラン俳優さんの例ですと、普段は非常に温厚な役者さんが、あるキーポイントで激変したのでございます。ワタクシの場合でいうと「立ち位置」ですね。このキーポイントをはっきり分からせないと、相手には一線ではなく怒りしか伝わらないのでございます。
職人さんが交わるところには、必ずこの「一線」があるのでございますよね。心置きなく会話をしていても、この一線は超えない。職人にとってこの一線というのは、その人にとっては「宗教」のようなものでございます。宗教の一線を超えてしまうと、宗教戦争になってしまうのでございます。あぁ、根が深いね。