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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-03-26 【”勝てなくなった横綱は引退”というのも、敗者の美学かも】

相撲で、立ち会いの瞬間に左右に体をかわすことを「変化」と申します。横綱クラスの関取がこれをやるのは不躾だというのが、一般的でございます。優勝争いをしている照ノ富士が、14日目に琴奨菊相手に変化をしまして、猛烈なバッシングを受けております。ひょっとすると、あの時点で、照ノ富士の膝は悲鳴をあげており、それ故の変化相撲だったという推測も立てられます。

一方、稀勢の里は13日の日馬富士戦で肩を負傷いたします。稀勢の里の怪我ばかりが注目されておりますが、優勝争いの両者ともに手負い状態だったのしょうね。下馬評では照ノ富士の圧倒的有利でございましたが、フタを開ければ、ほぼ五分五分の戦い方。と、なると、過去の対戦成績では照ノ富士は稀勢の里に一度も勝っておりません。その苦手意識が、勝敗を分けたかもしれませんね。

横綱稀勢の里関、優勝おめでとうございます。表彰式で男泣きしておりましたよね。今場所は、十両・幕内ともに優勝決定戦にまでもつれ込み、時間が押していたようでございます。表彰式のテレビ中継が早々と終わってしまったのは、残念でしたね。

男泣きと言えば、稀勢の里の同部屋の高安関、稀勢の里の優勝に号泣しておりました。同部屋ですので、稀勢の里の怪我の実状を知っておりますので、こみ上げる思いも別格だったのでございましょう。大関高安の実現する日も、近いのではないでしょうか。

切ない男泣きもございました。琴奨菊でございます。優勝を決めてからは、どこか歯車が狂いっぱなし。大関を陥落し、今場所での復帰も出来ず、6敗目を記した照ノ富士戦では、なんとも言えない切ない顔をしておりました。解説の舞の海さんが「これで身を引くなんてことを考えないで欲しい」とか言っておりましたが、えぇい! 縁起でもでもない! ほんと、あの人は、ひと言多い。みんな思っているけど、あえて口に出さないだけでございます。

関取の方々、みんな下積み時代から登ってきた人達ばかりですし、その這い上がる姿を相撲ファンは見守ってきております。関取みんなに愛着があるのですよね。しかし、当然ではございますが、白星の数だけ、黒星もある。相撲に引き分けはございません。上がって行く人がいれば、同じ数だけ下がって行く人がある。非情でもありますし、無常でもございます。

そんな非情な世界で、判官贔屓が強いのも、相撲の特徴でございます。無常観と共に日本人の大好きな「敗者の美学」なのでしょうね。この無常観、敗者の美学、こういったものに培われてきて、番付の構造など、今の相撲の形態があるのではないでしょうか? 相撲が単なる興行ではなく、そこに文化的な深さを感じるところでもございます。

でも、まぁ、どうしても、稀勢の里が矢場とんにしか見えない、いや、ゴメンナサイ、優勝力士に失言でございました。優勝おめでとうございます。では、では。


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