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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2017-02-20 【昔の地名は、趣がございます】

本日、ちょっと目にしたニュースに、こんなものがございました。福岡で17年前に名称変更されていた通りが、逆に今度はその17年前の名称に戻されたそうでございます。その名称が、チョイト変わってる。

本来の名称は「親不孝通り」。17年前にいろいろありまして、「親富孝通り」に名称変更。そして今回、「親不孝」「親富孝」「親ふこう」の3案で住民投票を取り、7割の住民の方が「親不孝通り」を選んだとのことでございます。昔ながらの名称に、思い入れが強かったのでございましょう。

さて、名古屋にも、昔ながらの住所の名前がございます。お店の近く、飯田街道の近くに白山神社がございます。そのあたり、昔、と言っても江戸時代のお話でございますけど、その昔、一里塚があったそうでございます。

名古屋城から長野県の飯田を結んだと言われているのが、飯田街道。その名古屋城から一里(約4km)ほど離れた地点が、ちょうどその白山神社のあたり。その一里塚より内側が昔は「城下町」として定められていたようで、ちょうど今の中央本線のガードのあたりに、関所の様なものがあったと伝えられております。

「塚越町(つかごしちょう)」というのが、そのあたりの古い表記。その一里塚を行き交う人に、様々な思い入れがあったのでございましょう。その由緒正しき地名でありますが、1977年の住所整理により、そのあたり一帯が「新栄○丁目」という住所に変更されてしまいました。

この住所整理ってやつ、役所的にはいろいろ事情があるのでしょうね。でも、それによって、昔ながらの由緒ある地名が無くなるということで、「地名殺し」なんて呼ばれる事もございます。

経済が急成長した時代は合理化優先で進められたのでしょうが、成長がひと段落した今、昔の表記を復活させるというのも一案ではないでしょうか? 中区のあたり、そして名駅のあたり、この地域は多くの昔ながらの住所が整理されたなくなっております。

郵便物に関しては、今や住所を自動で読み取り透明インクによるバーコードで仕分けしている時代。定形郵便物であれば、局員の負担はそれほど大きくなることはなさそうでございますが、定形外郵便物は、大変かも。

後は宅配業者とか、役所の書類とか、どうなのでしょう? マイナンバーや戸籍のデータ化など、コンピュータ処理が多く導入されておりますので、ある程度自動化は可能なのでしょうが、混乱はあるでしょう。

と、すると、可能性が高いのは「二重表記」。取りあえず現状の住所で管理するのでございますが、括弧で古い住所を併記することを認めるというもの。その古い表記でその地域が活性化すれば、それはそれでいい。合理性一辺倒で整理してきた住所の、原点回帰の時代は来るのでしょうか?

あと、住所の区画に関してはもう少し言いたいのですが、長くなりましたので、続きは明日にということで、では、では。


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