店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
題名は「嫌われる勇気」。アドラー心理学の名文句でございます。他にも、数々のアドラーの名文句がドラマの中では次々と登場いたします。香里奈さん演じる女刑事は、そのアドラー心理学を体現する人物という設定。心理学と刑事ドラマを合体するというのは、無理があるなぁと思いながら観ておりました。
人は皆、ウソをつきながら生きております。他人に嫌われないように、ウソをついているのでございます。しかし、そのウソをつきながらの生き方は実に窮屈だと、アドラーは言っているのですよね。あえて嫌われる勇気を持って、ウソをつかず、本音で話すことで「自由」になれる。そんな自由な生き方を目指すのが、アドラー心理学なのでございます。
ただね、ドラマの主人公をその「アドラー心理学を体現する人物」とするのは、どうかなぁと思うのでございます。自由であり、人との上下関係、劣等感や優越感、そういったものを超越しているのがアドラーの考え方でございますよ。ある意味、「完成している人物」でございます。完成しているということは、ドラマの展開上どうやって話を進める?、ということになるのでございます。
物語の文学性というのは、「人間の不完全さ」に有るのでございます。「本当はこう生きたいのに出来ない」という葛藤が、ストーリーに文学性を与えるのでございますよね。完成している人物では、それを望めない。となると、その文学性は脇役で表現することになるのでございます。そこで思い出すのが、同じ刑事ドラマの『相棒』シリーズでございます。
『相棒』の主人公、杉下右京も自由人でございます。刑事ドラマ『相棒』では、「杉下右京の成長」は何ひとつ描いておりません。完全なる人間の右京と、不完全で人間味のある脇役、まぁ、それが相棒だったり犯人だったりするわけですけどね、そのコントラストで文学的感動を持たせているのでございます。
さて、ドラマ「嫌われる勇気」でも、同様に主人公が「完成している人物」でございます。と、なると、重要なのは脇役の存在。そう、このドラマは、脇役が成功の鍵を握っているのでございます。でもねぇ、脇役が普通すぎる。ここでは、アドラー心理学の真逆を生きているような脇役を配置すべきでしょ。スタッフは、主役の香里奈さんに注目しすぎていて、この脚本のキモを見落としてないかなぁと心配するのでございます。
そして、主役は完成している人物ですので、主役の成長ドラマではない。と、なると、成長させるのは脇役。そう、このドラマは、主人公ではなく脇役を重点的に描かなければいけないドラマなのでございます。主人公に触発されて、価値観が変わる、生き方が変わる、そういった脇役を細かく描かなければいけないのですが、このキモもスタッフは見落としているかもしれない。いろいろと心配なドラマなのでございます。