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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2016-10-13 【小池さん、あなたの自己効力感が頼りです】

今日は、昨日の補足。と言っても、昨日はちょっと小難しいお話になっちゃいましたので、今日はワタクシの実体験を交えて、分かりやすくお話しいたします。

もう一度、金八先生のドラマからの引用。ドラマの中で、こんな格言が登場いたします。

「彼も人なり、我も人なり」

出典を調べますと、中国の文学者「韓愈(かんゆ)」の言葉だそうでございます。意味は、「あいつも俺も、同じ人間じゃねぇか。あいつに出来ることが、俺に出来ないわけはねぇ」といった感じでございます。

ドラマのこの言葉に触発されたわけではございませんが、ワタクシも、音楽家を目指して毎日練習していた頃、同じようなことを思って練習に励んでおりました。

指の筋肉や神経の構造、こういったものは人間誰でも、ほぼ同じでございます。ピアノや管楽器の複雑な「運指」も、同じ人間なのですから、練習すれば必ず出来る。いつも、そう信じて、練習しておりました。

もっとも、指の長さや声帯の形態、こういった物理的な制約はございますよ。ですので、「自分にとって苦戦するであろう項目」と「同じ人間として、必ず出来るはずな項目」とを、自分で切り分けるのでございますよね。やみくもに根性論で練習せず、論理的に欠点をひとつずつ潰していくのでございます。

この、「確実に出来るはずだ」という確信。これが「自己効力感」そのものでございます。で、長く接客業に携わっておりますと、心理学者も気づかなかった「自己効力感と接客業の関係」に最近気づいております。

飲食店や風俗というのは、表面的にはお酒やヌキを売り物としておりますが、実際にお客様に持ち帰っていただいているのは、「心」でございます。お酒を飲んだりヌイたりする方法は、いくらでもございます。それでも、わざわざ割高な飲食店や風俗店に足を運ぶというのは、そこに心と心の触れ合いがあるからに他ならないのでございます。

そのような「心」を売り物とする商いでは、人気のあるホステスやコンパニオンは、必ず、強い自己効力感を持っております。多分、自己効力感をお客様が欲しているからでございましょう。それで、パワースポットに人々が集まる様に、強い自己効力感を持つホステスやコンパニオンに、お客様が集うのでございましょう。

強い自己効力感は、回りにいる人にも、快感や勇気を与えます。伝染するわけでございます。ですから、お店や会社のような組織は、そのような強い自己効力感を持ったメンバーを主軸として動かそうといたします。当然、そういった人は、ホイホイと出世コースに乗ったりいたします。

ここで、「集団の自己効力感」というものが登場するのでございます。自己効力感の強い人が核となると、その集団全体の自己効力感が上がっていくのでございます。

お店や会社というもの、代表者の熱意だけでメンバー全員をリードしていこうとすると、これは重い。鐘を鳴らせ笛を吹こうとも、みんなの腰は、ドッシリと重い。経営者と従業員との間にある、大きな壁というか溝を感じる瞬間でございます。

そこで、従業員の中に自己効力感を見出して、その小さな芽に、肥料をやり水を差し、従業員側の自己効力感を少しずつ芽吹かしてやるのでございますね。従業員側にその芽が吹き始めると、集団全体も、少しずつ動き出していくのでございます。

さて、ちょっとお話は大きくなりますよ。今の日本の自己効力感はどうでしょう? アメリカが強いのは、自己効力感の塊のような国だから。日本に、あの「やれば出来るはず」という感覚は、あるでしょうかねぇ。

大震災以降、日本中が常に「最悪の事態」ばかりを想定して、足がすくんでいる。最悪の事態は、その起こり得る確率も含めた「期待値」で論議されるべき。しかし、「最悪の事態は必ず起こる」という悲観論ばかりが優先してしまっている。

豊洲もオリンピックも、誰も「完成型」のイメージを持っていない。出てくる話題は「ケチをつける」「揚げ足を取る」、そんな話題ばかり。今こそ、日本全体が、自己効力感を持つ時期ではないですか?

1964年の東京オリンピックは分かりませんが、1970年の大阪万博は、よく知っております。思い返せば、岡本太郎、丹下健三、こういった強力な自己効力感の持ち主が主軸にいたゆえの、あの大成功ではないでしょうか? 今、行われている4年後のオリンピックへの準備に、どれほどの自己効力感が有るのか、心配なんですけどねぇ。

といったところで、今回も、最後の方はやはり、ちょっと小難しくなっちゃいましたね。ゴメンチャイ。では、では。


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