店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
フリーアナウンサーの長谷川豊さんが、干されております。干され様がハンパない。同時に仕事を全部失うというスピード乾燥(笑)。リンナイのガス乾燥機もビックリでございます。かつてマスコミは、安倍政権や元橋下大阪府知事を「独裁だ!」と批判しましたが、こういう時のマスコミの足並み揃いの方が、よっぽど全体主義的で、気持ち悪いのでございます。
もちろん、長谷川アナが発した言葉、これは問題がございます。自堕落な生活の末に腎臓病になり、国の保証を受けて悠々自適に透析を受けている人が「いるかも」知れません。でも、その言葉をマスメディアに載せる際には、バックグラウンドにいる人すべてにも配慮が必要なのでございます。長谷川アナは、マスコミの「非対称性」というものをまったく理解していない。アナウンサーをクビになったのも、うなずけるのでございます。
昨日のこの欄の最後の方、「日本製じゃない家具や家電」という表現がございます。これは、はっきり「○○製」と書いてもよろしいのですよ。でも、その国の人、あるいはその国の商品を売っている人、そういう人を不快にさせるかも知れませんよね。で、「日本製じゃない〜」という表現が「無難」な落としどころになるわけでございます。
曽野綾子さんが、『老境の美徳』という作品の中で、以下の様なことを書いております。「東北大震災の後、電力会社からの保証が入る様になり、働くよりも失業のまま補償を貰い続ける事に堕落してしまった人達がいるのを、人づてに聞いた」といった内容でございます。
この一節、マスメディア的には実に危険な文章でございます。で、曽野綾子さん、この一節の直前に、「これはひとつの例外かも知れないが」と断り書き(免責事項)を入れております。さらに、この一節の直後に続く文章の冒頭では、「この手の話は無責任な噂話かもしれない」と、念には念を入れております。
この部分だけ取り上げると、実に危なっかしい文章でございます。しかし、曽野綾子さんが主に伝えたかった趣旨は、「被災者だということだけで、一切の批判が出来なくなっている空気への批判」、そして「それを作り出した新聞への批判」でございます。文章全体を読めばそれが理解できるのですが、一部分だけ抽出されることも有りますので、重ねて念を入れるということになるのでしょう。
長谷川アナが持論を主張したくなく気持ちは、良く分かります。ただね、持論を世に広めようとするとき、賛同者は全然問題ないわけですよ。既に賛同してくれているわけですから。大変かつ慎重さが要求されるのは、非賛同者をいかに不快にさせないかということ、これでございます。たとえ賛同してもらえないにしても、「不快にさせる」というマイナス要因を自分から発信するというのは、実に無駄な行為なのでございます。
文章でも、舞台でも、音楽でも同じなのですが、表現者が必ず持っていなくてはいけない感覚。それは、「客観性」でございます。自分の表現を、相手がどのように受け取るか。それを予期しない表現は、表現の押し売りなのでございます。時には、受け手側が予期せぬ反応をする事もございます。そのような受け手の反応を、表現者自らがフィードバックすることによって、表現者は成長していくのでございます。