店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
高浜原発に運転差し止めの仮処分。あくまでも“仮”ですから、本訴訟でひっくり返るかもですよね。運転差し止めにビックリしましたけど、「3/11」という日付の直前でなかったら、この判決は出ていたでしょうかねぇ? 時期的に、裁判所が事勿れ主義に走ったのでは? と、勘ぐってしまうのでございます。
震災から5年、仮設住宅で生活する人がまだ1万人以上いらっしゃるとのこと。一部の地域では、土地のかさ上げ工事がまだ進行中。完成は4〜5年先になるとの事。きょうび、小さなビルなら1年未満で建て代わってしまうご時世に、何が起きているのでしょうねぇ。
ギネス級の堤防を、新たに作っているそうでございます。今日明日にでも東日本大震災レベルの津波が来る、という恐れがあるからでしょうか? でもね、地学的に言うと、あんな巨大地震は100年に一度の頻度。過去の膨大なデータから検証済でございます。大きな堤防を作っても、それが役立つ頃には老朽化してますよ?
次の災害に備えるには、過去の災害を分析することが重要。津波による被害者があれだけの数に上ったのは、堤防が低かったからではございません。地震から津波到来まで40分も余裕があったのに、津波を過小評価していたために、逃げ遅れた、それが大きな原因でございます。大自然のエネルギーは膨大。それを、人間の建造物で持ちこたえようとするのは、あまりにも不毛でございます。
巨大な堤防、広大な土地のかさ上げ、それらが全て、ワタクシにはバベルの塔にしか見えません。抗(あらが)うのではなく、「受け入れる」という考え方は出来ないでしょうか。例えば、最近の高層ビルは、地震の際に「あえて揺れる」ような構造にすることで、破壊的な壊滅に至るのを防いでおります。津波に対しても、水が上がってくるのは仕方がないことと受け入れて、それ前提の街並みの計画や非難設備の充実を計る方が、有益ではないでしょうか?
関東大震災の後、第二次世界大戦の後、日本人はどうやって復興してきたでしょうか? 焼け野原になった土地にまず現れたのは、乱立するバラック(粗造の仮小屋)でございます。まず人が集まり、コミュニティが生まれ、人々の営みに必要なものが、引き寄せられるように集まってくる。もちろん、街並みは混沌と化しますが、重要なのは、理想的な都市計画ではなく、その土地の人達の息づかい。