店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
朝ドラ『おちょやん』が、残りあと1週(5話)というところまで来ております。このドラマで登場する「鶴亀新喜劇」というのは、ご存じ、「松竹新喜劇」がモデルでございます。劇中で「寛治(かんじ)」という名で登場している人は、そう、「藤山寛美」でございますね。
ワタクシの母親は元女優、松竹の子役から女剣劇に移っていくという経歴を持っておりました。どの段階で使っていた芸名かは定かではございませんが、母親からチラッと聞いた当時の芸名が、「曽我廼家喜代蝶」。『おちょやん』では、「須我廼家」という芸名が出てきますが、モデルは「曽我廼家」でございましょう。
ですから、ワタクシの母親は、その曽我廼家一門のどこかしらに在籍していたのでしょうね。で、ここからは、劇中の話ではなく史実を追っていきますよ。浪花千栄子さんが松竹新喜劇の前身「松竹家庭劇」に入ったのが昭和5年で、その時23才。奇しくもその昭和5年に、ワタクシの母親は生まれております。
松竹家庭劇を旗揚げしたのが、2代目渋谷天外、曾我廼家十吾という人達。もしワタクシの母親がこの家庭劇に在籍していたとしたら、昭和10年~12年といった辺りでしょうか。ワタクシの母親が5~7才。浪花千栄子さんがアラサーといった年齢の関係でございます。母親の当時の年齢を考えると、浪花千栄子さんの記憶はあまり無かったかも知れませんね。
松竹家庭劇が松竹新喜劇と変わるのが、昭和23年。浪花千栄子さんは41才でバリバリの松竹看板女優。ワタクシの母親はその時、18才。この松竹新喜劇に在籍していたかどうかが、全く分からない。この時点では既に、女剣劇に移行していた可能性もございます。