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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2021-05-09 【ファミリーヒストリー】

朝ドラ『おちょやん』が、残りあと1週(5話)というところまで来ております。このドラマで登場する「鶴亀新喜劇」というのは、ご存じ、「松竹新喜劇」がモデルでございます。劇中で「寛治(かんじ)」という名で登場している人は、そう、「藤山寛美」でございますね。

それで、このドラマの当初からずっと気になっている事がございます。それは、ワタクシの母親が劇中のどこかで関わっていたのではないかなぁ?ということ。まぁ、順を追って、ゆっくりお話しいたしましょう。

ワタクシの母親は元女優、松竹の子役から女剣劇に移っていくという経歴を持っておりました。どの段階で使っていた芸名かは定かではございませんが、母親からチラッと聞いた当時の芸名が、「曽我廼家喜代蝶」。『おちょやん』では、「須我廼家」という芸名が出てきますが、モデルは「曽我廼家」でございましょう。

ですから、ワタクシの母親は、その曽我廼家一門のどこかしらに在籍していたのでしょうね。で、ここからは、劇中の話ではなく史実を追っていきますよ。浪花千栄子さんが松竹新喜劇の前身「松竹家庭劇」に入ったのが昭和5年で、その時23才。奇しくもその昭和5年に、ワタクシの母親は生まれております。

松竹家庭劇を旗揚げしたのが、2代目渋谷天外、曾我廼家十吾という人達。もしワタクシの母親がこの家庭劇に在籍していたとしたら、昭和10年~12年といった辺りでしょうか。ワタクシの母親が5~7才。浪花千栄子さんがアラサーといった年齢の関係でございます。母親の当時の年齢を考えると、浪花千栄子さんの記憶はあまり無かったかも知れませんね。

松竹家庭劇が松竹新喜劇と変わるのが、昭和23年。浪花千栄子さんは41才でバリバリの松竹看板女優。ワタクシの母親はその時、18才。この松竹新喜劇に在籍していたかどうかが、全く分からない。この時点では既に、女剣劇に移行していた可能性もございます。

まぁ、いろんなことが曖昧なのは、母親が女優時代の事をほとんど話さなかったからでございます。今、母親が生きておりましたら、昔の思い出話を聞きながら、ほんとはあ~だったこ~だった言いながら、ドラマ『おちょやん』を楽しめた事でしょうねぇ。母親と浪花千栄子さんとは接点が有ったのかどうか? 今となっては確認する術(すべ)はございません。

NHKに「ファミリヒストリー」という番組がございます。(そんなことは絶対有りませんが)もしワタクシがあの番組に出演することが有ったりしたら、いろいろ面白いかもね。というか、あの番組のスタッフ、すごい調査力ですよねぇ。いつも不思議に思いながら見ております。ということで、今日は、不完全な、ワタクシのファミリーヒストリーでございました。では、では。


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