店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
この人、高須医院長には「河村さんから要請が有った」と誘い、河村市長には「高須先生からもお願いされている」と話を持ちかけた、そんな図式が見えてきたのでございます。策士でございますね。戦国時代ならば、よい武将になったことでしょう。
何千万円もの経費をかけて、何を思っての行動なのでしょう? 途中から「不毛な抗(あらが)い」であることは見えていたはず。こういうのを、正に「確信犯」と申すのでしょうか。確信犯という語が本来の意味で使われる、貴重な事例でございますね。
「確信」というものは、ひとつ間違うと「独善」に走るものでございます。独善に走る確信と走らない確信とは、いったい何が違うのか? それは「視線の高さ」でございましょう。高い視野から見た確信を持ちつつも、それを行使するときには、視線を一般大衆の高さにまで下ろせるか? それが、独善に走るか走らないかの境でございます。
世の中を動かそうとする人は、まるで箱庭を上から覗くように、世間を高い視野から俯瞰しております。そういった感覚が持てる人は、全体の1%以下。これを仮に「クリエイター」と呼ぶ事にいたしましょう。そして、残りの99%は「一般大衆」ということでございます。