店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
オリンピックの演出で渡辺直美さんへの女性蔑視ということで、佐々木ナントカという人が辞任いたしました。これ、その女性蔑視というのがどんな案だったのかが気になりましてね、まぁ調べますと、「オリンピッグ」という豚のキャラクターを出すとかいう案だったとか。なるほどね。
これがね、まだ案を出し合っている時の「雑談」でのお話だということで、これはそこまで大ごとにするべき事かなぁと思ったりもしております。男性タレントなら問題なかったのか? という話にもなりますよね。佐々木ナントカ氏側の「弁明」も聞いた上で、もっともっと議論が重ねられるべきでございます。リンチというか、ファシズムの空気も、ワタクシは感じてしまいます。
クリエイターがアイデアをひねり出す時ってのは、まず、常識とか先入観、倫理観なんていう「リミッター」を外して考えるものでございます。そうやって、何かしらの「振り切った物」「飛び出した物」をいろいろ出した中から、具現化の可能性、社会的、倫理的、予算的、等々、諸条件を加味し、現実の世界に落とし込んで行くのでございます。
クリエイターのリミッターが外れている時の発言なんてのは、ある意味、虚言に近いものがございますから、そこを拾い上げて追い込むというのは、チョイト悪意の様な物も感じるのでございます。佐々木ナントカ氏に限らず、初期のオリンピック関係者がことごとく何かしらのスキャンダルで失脚しております。もうね、オリ反対派の猛攻撃を受けているとしか思えないですよね、この連続失脚劇は。
今の日本、スキャンダルに「差別」という要素がございますと、日本中が無批判に盲信してしまう傾向がございます。先ほどは「ファシズム」なんていう過激な言葉も使いましたが、マスコミ全社が同じ内容の批判に走る、そして国民が皆それに染まる、この流れを見るに、ワタクシは薄気味悪いものさえ覚えてしまうのでございます。
そこには、「悪は追い込むべき」という極端な勧善懲悪思想が有るというのは、ワタクシが常々申し上げていること。ほら、ヒットラーは「ユダヤは追い込むべき」と言って、かの政策を進めたのでございますよ。この例えを出しますと、ワタクシの感じている「薄気味悪さ」が何となく理解して頂けるのではないでしょうか。
では、その勧善懲悪思想からどうやって日本は抜け出せるのか? それは、「許すこと」でございます。悪を許すのですよ。冒頭の佐々木ナントカ氏と渡辺直美さんの事例で申し上げますと、渡辺さんから「発言は許す。でもその案は嫌。」と言ってしまえばいいだけのこと。許すことで、悪とか善といったレッテルが一度剥がれる。それから、客観的に批判し、論じられればいいのでございます。