店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
昨日は朝ドラのお話をいたしましたが、今週の『おちょやん』の筋書きは、生き別れになっていた弟が突然姿を現すというお話(唐突!)。スッタモンダありまして、その弟、刺青(いれずみ)からヤクザ者になっていることが発覚。「一緒に暮らそう」という姉の言葉を振り切って、立ち去っていくというお話(金曜完結!)。
弟は、「もう、そっちの世界には戻れんのや」と姉に背を向けるのでございますが、このセリフに説得力が無い。なぜなら、弟がヤクザ者っぽくないから。これも、やさぐれに振り切れた演技が出来てると、姉に別れを告げるシーンが涙々の感動シーンになるのですけどねぇ。若冠21才の倉悠貴君、ヤクザとか任侠なんて、なかなかイメージ出来なかったかも知れませんね。
さて、今日のお話は、「碍(がい)」という漢字のお話。「碍子(がいし)」の碍でございますが、最近は「障碍(しょうがい)」という語が話題になっております。手元に有る『広辞苑 第5版』(1998年刊)で「しょうがい」を引きますと、既に「障害・障碍」のふた通りが併記されております。で、この碍という字を常用漢字に入れるかどうかで、ちょいと揉めておりました。
発端は、障ガイ者団体からの要望。「害」という字は何か悪い物を連想させるので、「障害者」ではなく「障碍者」という表記にして欲しいとのこと。この「碍」という漢字は常用漢字に含まれておらず、世の中により理解を求めるために常用漢字への登録を要望していたのでございます。
以上が前置き、ここからは、ワタクシの持論でございますよ。はたして、「害」という漢字はそれほどまでに罪深いのか? ということで、ここは話の例えに、冒頭でチョロッと登場した「刺青(いれずみ)」を引き合いに出しましょう。
刺青・入れ墨・タトゥー、全て「いれずみ」を表す言葉。こと日本では、入れ墨というのは反社会的団体のイメージが強い。でもそれは日本だけ。日本以外のほぼ全ての国では、タトゥーに反社会のイメージは全くございません。日本の精細な刺青は、海外では芸術品扱いをされることもございます。
同じ刺青が、方や反社会のイメージ、方や芸術作品、刺青そのものに罪がないことは十分お分かりですよね。刺青から特定のイメージを作り出しているのは、刺青そのものではなく、人間の「意識」なのでございます。よくある「言葉狩り」という状況、これはそのイメージを創り出している人間の意識を語らなければ、全く不毛な論争になってしまうのですよね。
このお話を、「障害」という語で考えてみましょう。もし「障害」という語から悪いイメージを持ったとしたら、それは「害」の字ではなくその人の「意識」がそうさせたのでございます。その様な意識が残っている限り、「碍」にしようが「刺青」「タトゥー」という表記にしようが、相変わらず、その人は悪いイメージを持ち続けることでしょう。