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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2021-02-05 【出来ないということも個性です】

中学校のトーチトワリングで火傷、というのが時々ニュースになっております。このトーチトワリングって、ワタクシは初耳。こんなこと、ワタクシの子供の時にはございませんでした。いったい、いつ、誰が思いついて、始めたのでしょうねぇ。

火のついた棒を大勢で振り回すとか、バカじゃね? 危険きわまりない。それを中学生にやらせる事を教育現場の誰も疑問に思っていないところが、とっても不思議でございます。組み体操のピラミッドも、ワタクシの頃はせいぜい3段でございました。それが今や、中学生に5段とか10段とか、あぁ、正気の沙汰じゃぁねぇ!

トーチトワリングで火傷をした時の映像が、ニュースで流れております。確かに、その子だけ、トーチが頭上まで上がらず、腰のあたりで回転している。あれじゃぁ火傷するのは仕方が無い。ワタクシが腹立たしいのはね、なぜ、その技量の生徒に火の点いたトーチで実演させたのか? 完璧に出来る様になって初めて、「では、火を付けてやってみましょう」ではないのですか! プン、プン!。

組み体操がより危険になっていくのは、なぜなのでしょう? 学校どうしで競争? 去年よりもより過激なことを! そんな教師の自己顕示欲なのかなぁ? それとね、何も全員が出来なくてもよろしいじゃございませんか。なんか、「全員参加」「全員完遂」という強迫観念を、学校や先生方が持っていないかなぁ。

ニュースで流れた映像で、学校ではなく逆に生徒側を非難する声が有ったそうでございます。「不器用だからだ」とか「練習不足で皆に迷惑をかけた」といった中傷を受けて、その生徒は転校する羽目になったとか。でもね、他の人が当たり前に出来ていることが出来ない子供って、時々いるのですよ。みんな違ってみんな良い、かつてそんな言葉が広まった時期も有ったのですけどねぇ。

ワタクシの思い出話をいたしますよ。ワタクシ、視野狭窄という目の病気を持っております。発覚したのはいい年をしてからでございますが、多分、幼少期には既に発症していたはず。そのせいか、ワタクシ、子供の頃からボール遊びがとっても苦手でございました。視野が欠損しているせいで、飛んでいるボールを目で追えなかったのでしょうね。

それでね、小学校の定番スポーツ、ドッジボール、あれがとっても恐かった。飛んでくるボールを受け止めるなんて至難の業。死角からいきなりボールが現れるのですよ。星飛雄馬の消える魔球もビックリでございます。星飛雄馬と言えば、野球も苦手でしたねぇ。向かってくるボールを目で追うのが難しいので、キャッチが出来ない。球技全般、とっても苦手な子供でございました。

これね、他の人が普通にやっている事が出来ないってんで、チョイト悩むわけですよ。目の病気が有るなんてその時は知りませんから、自分の不器用・未熟・練習不足なのではと思い込んで、自責の念に駆られてしまう。まぁただ、「出来ないヤツを追い込む」という風潮は無かったので救われたかなぁ。今だったら、格好のイジメのターゲットになっていたかも。

お話を組み体操に戻しましょう。現状の組み体操の危険性は、その内容ではなく、「全員参加」「全員完遂」といった「思想」に有ると思っております。組み体操そのものは否定いたしません。しかし、より高度な事、より体力を要求されること、より危険なこと、こういった演目は「有志」の参加でよろしいのではないですか?

かけっこで「全員一緒にゴールする」みたいな思想もございますが、成人して世の中に出れば、徹底的に「他人との差」を突きつけられるのです。あえて主役と脇役という役割分担をさせ、主役が脇役を、脇役が主役を思い遣るという関係性の中で組み体操を作っていった方が、より教育的で、より逞しい人間形成につながると思うのですけどねぇ。いかがなものでしょうか?


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