店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
コロナがらみで、やたら「GoToナントカ」が悪者にされておりますけど、それも、おかしな話。この冬、世界中が第三波に突入しているのですよ。世界的に同じ動きをしているのですから、「日本だけがやっている事」は、あまり関係ないでしょ。なんか、GoToナントカを悪者にした時点で、思考停止してますよね。もっとグローバルな要因が関係していると思いますよ。
それで、病院のベッドが逼迫しているとか。もとより、日本は病院の数は多いのですが集中治療室(ICU)のベッド数は先進国の中でもかなり少なめ。ですから、感染者数よりもICUの埋まり具合の方が重要で、もっと報道されるべきなのでございます。特に、人工呼吸器やECMO(エクモ)と呼ばれる生命維持装置の稼働具合、これも医療の逼迫を表すのに重要な指針でございます。
医療が逼迫しますと、回復の見込みの無い患者の生命維持装置を外し、回復の可能性の高い人に移しかえたいという要望が高まってくるはずでございます。しかし、これは難しい。治療途中で外すということ、これは安楽死と同じでございます。外すのも地獄。外さなければ他の誰かが地獄を見る。正に悪魔の選択でございます。
ここで安楽死が問題になるのは、ある患者の生死を第三者が決めてしまうから。ならば、その生死を患者本人が事前に決めておけば、問題にならないのでは? そう、コロナで重症化したときには、まだ本人の意識があるうちに、「生命維持装置による延命を希望するかどうか」を聞いてしまうのでございます。これは、悪魔の選択を他人に委ねないという、「思いやり」なのでございますよ。
医療の逼迫度が増しますと、「延命を希望」した人でも、誰かが悪魔の選択を行わなければならなくなる。誰かの主観的な判断に委ねるのは、あまりにも荷が重い。そう、主観が一切入りようがない客観的な数字で判断するのでございます。その時点の逼迫率、治療日数、装置の装着時間、その他医学的な数字、そのような条件をあらかじめ細かく決めておき、条件に当てはまれば問答無用で悪魔の選択。
今、こういった悪魔の選択の重荷が、医療現場の人達に一手に任されております。生命維持装置の件だけでなく、日々の受け入れ体制。薬の使用、入院の判断、様々な悪魔の選択が、現場の主観的な判断に委ねられている。医療の逼迫と言うと、感染者数とかベッドの空き数とかしか報じられないが、医療現場の「心の逼迫」も、もっともっと報道されるべきでございます。