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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2020-07-23 【人類は高度医療を持て余している】

「沖田×華(おきたばっか)」さんの漫画で、『不浄を拭う人』という作品がございます。特殊清掃に従事される方のお話でございます。特殊清掃、つまり、孤独死などで亡くなられた方の住んでいた部屋を綺麗にするお仕事でございます。

人というもの、病院で死ねればよろしいのですが、自宅で息絶え、誰に知られることもなく、そのまましばらく放置される、そんなことになりますと、まぁあまり詳しくは書きませんが、お部屋の中がそれなりに大変な事になる。そういうのを清掃する人も大変ですが、生きているうちからそういうことになったらどうしようと悩む方もいらっしゃいます。

体が動かなくなる難病になり、次第に、機械の補助、人間の補助を受けられないと生きていけない体になってしまう。まだ体が動かせたうちは、回復への希望も持っていらっしゃったでしょう。しかし、自分の運命が絶望的となるほどに病状が進行した後は、もはや自分の生き死にも自分で選べない。実に不謹慎なワタクシの勝手な想像ですが、「体が動く内に自殺しておけば良かった」と思っていらっしゃったかもしれませんね。

医療の発達によって、かつては助からなかった病気の多くが不治の病ではなくなっております。そして医療は人間の尊厳を超え、生きる能力の無くなった体の生命を人工的に維持する能力を持つまでになっております。そのため、現代医学は、ある哲学的な命題を常に突きつけられているのでございます。「機械で維持している生命は、もはや『生きている』と言えるのだろうか?」と。

医療が発達すればする程に、あるいは高度な医療を持つほどに、その高度医療の費用が医療費全体を圧迫するという矛盾が起きるのでございます。「どこまでを助けるか」という医療の大命題に決着が付けられないまま、近代の急激な医療技術の進歩ばかりが独り歩きしている感じがいたします。人類は、過度に発達した医療技術を持て余しているのでございます。

世界中で猛威を振るっているコロナウィルス。時として、助かる見込みの無い高齢者の人工呼吸器を外し、可能性の高い若い患者に付け替えるという事例も発生しております。緊迫した医療現場では、トリアージという「命の選択」が行われる。もちろん、医療従事者を責めるつもりは毛頭ございませんよ。より多くの人を救うための合理的な手法なのですから。

人の運命ってのは、状況次第で自分の生き死にを勝手に決められたり、あるいは先ほどの難病の例の様に意志に反して生かされ続けたりする。そんな中で、「死にたい」と思う人の願いを叶えてあげる人が現れる。お金を受け取って、難病者の自殺を二人の医師が手伝ったというニュースでございます。

トリアージとか生命維持装置による延命とかは、医療の範疇(はんちゅう)。「救えることを美学」と考える。一方、尊厳死とか安楽死というのは宗教・哲学の範疇。「死に向き合うことを美学」と考える。そりゃぁ、長年、この両者の間に線引きが出来ないのも無理はない。尊厳死や安楽死の容認は、まだまだ時間がかかるのでしょうね。

今回の事件は、「医師」が行ったとのこと。こういうことを行う医師ってのは、先ほどの二つの範疇の「間」にいる人なのかもしれませんよ。闇雲に犯罪として裁くのではなく、こういった医師の信念を丁寧に摘まみ上げ、オープンに議論を重ねることも必要かなと思った事件でございました。

今回は、内容が内容だけに、非常に言葉を選びながら時間をかけて書き記したつもりでございます。しかし、もし不愉快に思われる方がいらっしゃいましたら、お詫びいたします。悪意はございません。


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