店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
現地の人が何度注意しても、潮干狩りに訪れる人が後を絶たないとか。あるいは、献身的に命がけで奉仕してくれている医療従事者が、私生活で偏見や差別をうけているとか。日本という国は、どうしてこうなっちゃったのでしょうかねぇ?
この質問に即答出来なかった新渡戸さん、思案を重ねるわけでございます。そこで行き着いた結論は、日本の道徳観を支えているのは「武士道」だと思い当たる。そして、この日本独特の道徳観を世界に紹介するためにこの本を執筆したと、書物『武士道』の序文に書き記しております。
新渡戸さん、(西洋にも「騎士道」なるものが存在するように)武士道の考え方そのものは世界的に存在する普遍的なものだと前置きした上で、それでもなお、日本の武士道は、世界でも稀な独特の進化を遂げていると説いております。
西洋の道徳観は、「個人の徳」に他なりません。その”より所”となるのはキリスト教。個人の徳を、宗教という外部的規範が縛るわけでございます。では、武士道ではどうか? よく言われる「おてんとうさまが見てるぞ」という語、おてんとうさまが見ていなくても自分の良心(神)が見ているぞというのが、武士道の”より所”でございます。
武士道というのは、自分の「自制心」に縛られた道徳観なのでございます。あぁ、なんというストイックなことか! そしてこれを新渡戸さんは、「社会を統率するエリート階級として培った、洗練された普遍的な徳」と書いております。侍は、刀を持つ特権とともにその「責任」までも腰に下げ、規則が無くても自身の自制心で抑制する。それが武士道。現代では、車の来ない赤信号でもけなげに守っているところに生き残ってるかな(笑)。
でね、「個人の自制心で~」っていうところで、日本ではいろんな事が「個人の自制心まかせ」になってる部分が多い。契約書とかで、「トラブルの際は、お互い誠意を持って協議...」なんて文面を見たことはございませんか? 西洋が契約社会として発展してきたのに対し、いろんなことがなぁなぁとなっている日本の仕組みは、武士道の影響かなぁ?
武士道は、「義(正しい道)」「仁(優しさ)」「勇(義を行うための精神的強さ)」「礼(秩序を守る)」「名誉(人としての美学)」「誠(組織への忠誠心)」といったアメと鞭が入り交じった総合的な精神世界でございます。「誠」だけちょっと気になりますが、正に、今の医療従事者の方々は、現代の侍でございます。
そんな医療従事者がプライベートで差別されるなんてのは、本来なら法律で規制されるべき事項。なぜなら、今は国の存亡が医療従事者にかかっているわけですから、法律で彼らを守るのは公共の利益に合致するわけでございます。でも日本ではなかなかそうならないですねぇ。やはり、どこまで行っても、個人の自制心に委ねられている。あぁ、何という不毛な性善説!