«前の日記(2020-04-06) 最新 次の日記(2020-04-08)» 編集

薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

2008|05|06|07|08|09|10|11|12|
2009|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2010|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2011|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2012|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2013|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2014|01|02|03|04|05|06|07|08|10|12|
2015|01|03|12|
2016|01|02|03|05|06|07|08|09|10|11|12|
2017|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2018|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2019|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2020|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2021|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
2022|01|

2020-04-07 【ごまかしの無い物、それが本物】

今日の朝ドラは、ぶったまげた! 多分、日本中の見ていた方々が、ぶったまげた! 柴咲コウ演じるオペラ歌手の、歌いっぷりでございます。

現在放送中の朝ドラ『エール』。主人公は音楽家。その関係で、登場人物に音楽家・歌手といった人が頻繁に出てくる。そして注目すべきは、この番組が事前に、「吹き替えなし」を謳(うた)っていることでございます。

撮影前に、相当練習したのでしょうね。かな~り、オペラ歌手の歌唱に寄せております。ポップスを歌っている人が、あの歌唱法や節回しを身につけるのは、並大抵では無かったはずでございます。柴咲コウさん、アッパレ!!

ドラマや映画では、「ごまかし」というのはよく有ることでございます。逆に、「ごまかし、一切無し」をあらかじめ謳う作品も時々ございます。思い出されるのは、木村大作監督の『剱岳 点の記』。CG(コンピュータ・グラフィックス)を一切使わないという触れ込みで製作された映画でございます。

ワタクシ、その『剱岳 点の記』を映画館で見ております。コンパクトな映画館の小さめなスクリーンではございましたが、大迫力でございました。そして、見終わった後に、ある充実感を感じたのでございます。作品の「作り手」と「受け取り手」の間に発生する、「信頼感」でございます。

映画で壮大なシーンや迫力のあるシーンを見せられても、「どうせはめ込み合成だろう」「どうぜCGだろう」と、ついつい頭の端っこで思ってしまうもの。映像に没頭してはいても、「本当は、安全な場所で撮影しているのだから」という安心感を、どこか無意識のうちに持っているものでございます。

けどね、見せられる前に「これはCGを一切使ってません」と断言されてしまうと、スクリーン内の映像に、「実感」が出てくるのでございます。壮大な風景のシーンも、猛吹雪のシーンも、「実際の場所で撮影している本物の映像だ」という実感でございます。

すると、猛吹雪のシーンでしばらくスクリーンが「真っ白」になっていても、「あぁ、剱岳の本物の吹雪だ」と許せてしまう。足下の土しか映っていなくても、「あぁ、剱岳の土だ」と納得してしまう。そこに有るのは、作り手と受け手との「信頼関係」でございます。「本物」を移す事によって、信頼関係が生まれるのでございます。

世の中の映像、CGやはめ込み合成が溢れかえっております。それによって得られるものも多いでしょう。しかし、その「ごまかし」を介在するほどに、作り手と受け手の距離は乖離しているのかもしれません。逆に、ごまかしを排した後に生まれる信頼感こそ、今の映像がどこかに置き忘れているものではないでしょうかねぇ。

朝ドラの柴咲コウさんの歌唱、そりゃぁ本物のオペラ歌手と比較すれば若干のアラは見えますよ。でもね、そんなアラを吹き飛ばすほどの「信頼感」が生まれるのですよ。日本中の視聴者がぶったまげたのも、その信頼感があればこそ。柴咲コウさんも、アッパレ!! そして、このドラマを「吹き替えなし」で制作しようとしたNHKも、アッパレ!!でございます。


«前の日記(2020-04-06) 最新 次の日記(2020-04-08)» 編集