店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
現在放送中の朝ドラ『エール』。主人公は音楽家。その関係で、登場人物に音楽家・歌手といった人が頻繁に出てくる。そして注目すべきは、この番組が事前に、「吹き替えなし」を謳(うた)っていることでございます。
撮影前に、相当練習したのでしょうね。かな~り、オペラ歌手の歌唱に寄せております。ポップスを歌っている人が、あの歌唱法や節回しを身につけるのは、並大抵では無かったはずでございます。柴咲コウさん、アッパレ!!
ドラマや映画では、「ごまかし」というのはよく有ることでございます。逆に、「ごまかし、一切無し」をあらかじめ謳う作品も時々ございます。思い出されるのは、木村大作監督の『剱岳 点の記』。CG(コンピュータ・グラフィックス)を一切使わないという触れ込みで製作された映画でございます。
ワタクシ、その『剱岳 点の記』を映画館で見ております。コンパクトな映画館の小さめなスクリーンではございましたが、大迫力でございました。そして、見終わった後に、ある充実感を感じたのでございます。作品の「作り手」と「受け取り手」の間に発生する、「信頼感」でございます。
映画で壮大なシーンや迫力のあるシーンを見せられても、「どうせはめ込み合成だろう」「どうぜCGだろう」と、ついつい頭の端っこで思ってしまうもの。映像に没頭してはいても、「本当は、安全な場所で撮影しているのだから」という安心感を、どこか無意識のうちに持っているものでございます。
けどね、見せられる前に「これはCGを一切使ってません」と断言されてしまうと、スクリーン内の映像に、「実感」が出てくるのでございます。壮大な風景のシーンも、猛吹雪のシーンも、「実際の場所で撮影している本物の映像だ」という実感でございます。
すると、猛吹雪のシーンでしばらくスクリーンが「真っ白」になっていても、「あぁ、剱岳の本物の吹雪だ」と許せてしまう。足下の土しか映っていなくても、「あぁ、剱岳の土だ」と納得してしまう。そこに有るのは、作り手と受け手との「信頼関係」でございます。「本物」を移す事によって、信頼関係が生まれるのでございます。