店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
滑落で亡くなられた方は、「TEDZU(テツ)」という名前で生配信をしておりました。リスナーは1人ないし2人。「配信」というよりは、その数人のリスナーを相手に語り合っているような放送だったそうでございます。同様の極端にリスナーが少ない「過疎放送」が、無数に存在しているそうでございます。
そんな過疎放送を続ける人の多くは、その理由を「自己承認欲求」だと主張するそうです。「ここに自分が存在することを知って欲しい、見て欲しい、聞いて欲しい」、そんな衝動から数人のリスナー相手に発信を続けているとのこと。
これね、ワタクシが以前から申し上げている、ギブアンドテイクの「テイク(Take)」の感情ですよね。芸術でも商売でも、この「テイク=欲しい」という動機から発する物は、いたって非生産的なのでございます。ただ、この「テイク」の感情から「ギブ(Give)=与える」の感情に昇華していくには、大きな壁がございます。
そしてさらにややこしいのは、日常的に行われている「対価を払う」という行いは「ギブ」ではない。それは「交換」でございます。しかしこれを「ギブ」と思い込んでいると、「真のギブ」からは永遠に遠ざかってしまうのでございます。ワタクシが言う「ギブ」は、見返りを求めないのでございます。
ワタクシは若い頃から、音楽や演劇というものに携わっておりました。プロを目指して練習・稽古する上では、常に自分の動機(モチーフ)が「テイク」なのか「ギブ」なのかは大きな戒めでございました。結果を気にすれば、ついつい心が「テイク」に振れてしまう。すると、何も伝わらなくなることに気がつく。芸術というのは、克己(こっき)なのでございます。
もちろん、世の中に大量生産される芸術作品の中には、一見「テイク」主導と思われる物もございますよ。でも、その作品の中の人(携わっている人達)は、必ず「ギブ」の精神でクリエイトしているはずでございます。なぜなら、それでなければ、人の心を打たないからでございます。