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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2019-08-05 【臭い物にフタをし続けていると...】

世の中には、あえてマイナスの宣伝をすることでかえって評価が上がるという事が少なくないのでございます。例えば「青汁」。CMで散々「う~ん、まずい!」と宣伝したにも関わらず、大ヒット。CMを見た消費者は、「まずいけど○○なのだろう」と、堂々と宣伝される不味さの「裏読み」をしたからでございましょう。

商品の説明では、欠点の後に長所を述べた方が、商品のイメージが良くなるのでございます。人間、最後に耳に入った言葉の印象が残りやすいからですよね。また、最初に欠点を明らかにすることで、その説明者への信頼度が上がるということもございます。

さて、今日の本題は、今、大騒ぎの「表現の不自由展」でございます。結論から申しますと、「表現の不自由展」というタイトルを失敗しましたねぇ。憲法で表現の自由が保障されているにもかかわらず、それでも展示できなくなる芸術作品というのは数多くございます。目の付け所は良いのでございます。

しかし、まず最初にマイナス点を大々的に宣言するべきだったのでしょうね。もしタイトルが、「もっとも不愉快な作品展」とかだったら、みんな「不愉快なのは当たり前」と大前提を置きますよね。不愉快なものを「不愉快な作品」と銘打って出品しているのだから、その不愉快さに関して議論の起こる余地は無くなるはず。

「不愉快を表現する」ってのも、芸術だということでございます。今回の騒動の全くおかしいところは、この展覧会の作品群は単に「不愉快」を表現しているだけで、社会的な主張や思想に基づいたものではないのに、社会的な意味合いで猛反対する人が後を絶たないこと。広く一般に開示している作品ではなく、美術館の限られたスペースでのみ展示されている物なのですから、嫌な人は「見に行かなければいい」だけのお話なのでございます。

ただ、タイトルの件もそうですが、このセンシティブな内容の割には、主催者側の配慮が足りないという点は、否めないですよね。よく映画の冒頭で、「○○映画会社は、この映画の内容に含まれる主義思想を支持するものではありません」みたいな但し書きが時々出ますよね。あんな但し書きが、必要だったでしょうねぇ。

今の日本を脅かしている根深い病魔、それは「同調圧力」でございます。これを考えると、日本が民主主義だとかチャンチャラおかしくなる。同調圧力のせいで、学校ではいじめがはびこる。同調圧力のせいで、過労で死ぬ人が続出する。同調圧力のせいで、マスコミ全社が判で押したような同じ報道になる。あぁ「反日」で思考停止している韓国国民と、何ら変わらないねぇ。

今こそ、日本人は、自分たちが不愉快になるもの”も”、見るべきなのでございます。捕鯨問題を扱った「ザ・コーブ」という映画が日本で上映されたとき、日本中で反対運動が起きてどこの映画館も上映を断念するに至りました。でも、あの映画は、アカデミー賞のドキュメンタリー賞を受賞しているのでございます。

つまり、アカデミー賞でタイトルを取るほどに、世界的には「ザ・コーブ」の方が「世界のスタンダード」だったのでございます。日本人は自分たちがホカホカする映像で浮かれていて、「世界のスタンダード」には無知蒙昧。そうやって、ガラパゴスジャパンが形成されていく。たとえ自分たちにとって不愉快な映像であろうが、あえて世界のスタンダードに触れることは、日本を客観的に見る貴重な機会なのでございます。

表現の世界では、「多くの人を不愉快にさせるから」という理由で展示が出来なくなる展示物が時々発生いたします。我々に不愉快であるということは、「我々を不愉快にしたかった人」がまた別に存在するわけですよね。その別の価値観に触れるとき、別の価値観を持った人達の存在に気付くとき、我々はさらに自分たちを客観的に見ることが出来るのです。だから、あえて不愉快なものを見るということは、自分たちをより高める所行でも有るのでございます。

これほどまでに「同調圧力」が強くなったのは、ネットの存在もあるでしょうねぇ。情報の伝わる速度がハンパないですからね。そして、小さな画面の限られた情報で意志決定をしてしまう。それが、ひとつの起点から大勢が「悪のり」するというネット独特の「炎上」という騒ぎの要因のひとつになっているのかもしれません。

街角に置かれたものではなく、美術館の一室に置かれた展示にこれだけ反対し中止させてしまうっていうのも、どうかなぁ? そんな同調圧力を見ていると、韓国の不買運動のバカさを笑えないのでございます。こんなことなら、初日に見に行っておけば良かったなぁ。では、では。


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