店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
現在放送中の朝ドラ『なつぞら』は、アニメ制作会社がその舞台でございます。京都で起きた事件を考えますに、ドラマを見ていても、昨日までのようにすんなりと楽しめなくなっているのに気がつくのでございます。楽しいドラマのはずなのに、なぜかヒヤヒヤしてしまう。それほどに、凄惨な事件でございました。関係者・ご遺族の方々には、お悔やみを申し上げます。
今日は、この事件のことではなく、ドラマの出演者に関するお話。今、ワタクシが注目しているのは、「福地桃子」さん。なぜに注目しているかと申しますと、この人、「白」とか「善」といった方向への振り幅だけでなく、「黒」「悪」という逆方向への振り幅もそこそこある感じ。この、「逆方向へ大きく振れられる」能力は、役者として重要なポテンシャルなのでございます。
どこでそれを感じたか? 福地桃子さんが、怒り心頭でおでん屋の暖簾をくぐって入ってくるというシーンがございました。その時の、オーラというか空気が、ムラムラとした怒りを発していたのでございます。セリフを発するまでもなく、入って来た瞬間に空気が変わった。顔つきだけでなく、全身で怒りを表現しているからでございます。おこがましくはありますが、ワタクシ、「この人は才能がある」と思ったのでございます。
この方、哀川翔さんの娘さんだそうでございます。それを知って、納得いたしました。哀川翔さんの、あのちょっと尖った空気を感じ取りながら育った娘さんなら、そりゃぁ当然でございましょう。なぜ逆側に振れる能力が重要かと申しますと、「バックスイングの理論」でございます。腕を後ろに引くから、速い球が投げられるという理屈。演技も同じなのでございます。
役者の子供ってのは、小さな頃から「役者の極意」を親から仕込まれている可能性が高いのでございます。なぜ、そんなことを断定できるかって? だって、ワタクシの母親は松竹の女優でしたからね。ワタクシも、小さな頃からいろいろ言われて育ったのでございます。
ワタクシの祖父は新派の女形。その娘であるワタクシの母親は松竹の子役から女優になる。その後女剣劇に移り、日本舞踊は師範代。女優辞めてからは小料理屋の女将。これが母親の略歴でございます。また、女優か女将の時代に、ゲイバー遊び(当時はシスターボーイか)を、かなりしたのではないかと想像できる発言も、ワタクシ数多く母親から受けております。
そんな母親ですから、テレビドラマを見ていても、さんざん演技論を息子のワタクシに吹っかけて来るわけでございます。踊りのシーンが有れば、その踊りを寸評する。そして、空前のニューハーフブームが始まると、画面に登場するニューハーフをことごとく批評するのには驚いた!
実際にワタクシがニューハーフになった時にも微塵も驚かず、飲食店に勤め始めたワタクシに女将時代の思い出話をすることも時々ございました。まぁ、しかし、ワタクシがニューハーフになったあとは、母親の色々な言葉が、全部、活きてくるわけで、なるようにして成ったという感じでしょうか。
「役者は親の死に目に会えない」と、母親は何度もワタクシに言ってましたねぇ。多分、母親自身にそういう体験が有ったのかもしれません。ワタクシはこの言葉で、幼少期から、総合芸術である舞台の「責任感」をしっかり植えつけられたような気がいたします。
「踊りは目で踊れ、演技は背中で演じろ」、これも母親の言葉。あと、「ハッタリも実力の内」なんてのも、よく聞かされましたねぇ。ほぼ「ニューハーフ評論家」となっていた母親ですが、不思議に、ワタクシの評論をいたしませんでした。まぁ、そんな事を言ったら親子げんかになると思ったのか、あるいは親のひいき目なのか、今となっては分かりませんけどね。