店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
朝ドラの視聴率の推移でございますね。「おしん」(1983年)の52,6%をピークに右肩下がり。まぁ、「おしん」という作品が良すぎましたので直後の急降下は仕方がないとしても、その後20年以上に渡って、徐々に徐々に「朝ドラ離れ」が進んでいるのが分かるのでございます。
転機となったのが、「ゲゲゲの女房」(2010年)だそうでございます。ここで、グラフに騙されちゃいけませんよ! このグラフ、あたかも「V字回復」した様な書き方がされておりますが、2010年代に入って、それほど上昇しているわけでもない。V字回復と言うよりは「20%前後から”下がらなくなった”」と言う方が正解でございましょう。
また、「朝ドラだけが見られなくなった」と言うよりは、世の中全体に「テレビ離れ」が進んでいたと考えた方がよろしいでしょうね。娯楽も増え、生活サイクルも変わり、ゆったり腰を据えてテレビを見るということがなくなってきたゆえの、右肩下がり&20%安定だと思いますよ。
重箱の隅ツツキはこれくらいにしておきましょう。で、その後藤千惠解説委員が言うには、「おしん」の頃のドラマは「ヒロインがどん底から這い上がっていく波瀾万丈」がテーマ。それが最近は、「ヒロインが回りの温かい人に支えられ成長していく物語」と変わっているそうでございます。
それに伴い、ドラマのターゲット視聴者層も変わって来ているそうでございます。昔のドラマは、中高年層がターゲット。今は、SNSをやる様な若い人にまでターゲットを広げているそうでございます。このSNSがらみが最近のドラマの傾向に大きく影響しているそうでございますが、それはお話の後半で。
この朝ドラ今昔物語、今放送している「おしん」と「なつぞら」を見比べると、よ~く分かるのでございます。「おしん」で描かれてる「どん底の貧乏」「汚れメイク」「執拗ないじめ役」なんてのが、「なつぞら」ではかな~り緩く表現されている。言うなれば、「毒が抜かれている」という感じでしょうか。
「おしん」の頃の視聴者の多くは、「戦争経験者」でございます。究極の不条理を生き抜いた人達ばかり。そして、その後の高度成長期を支えてきた人達。そう、「どん底から這い上がる波瀾万丈」というドラマが当たらないはずが無いのでございます。戦争経験、そしてその後の発展から、不条理に対する免疫を持っている人達と言えるでしょう。
平成に入りますとね、「戦争」というのは昭和の遺物なのでございます。そして徐々に、世の中は豊かになり、豊かな時代に生まれるほどに、不条理に対する免疫を失っていったと思うのでございます。免疫のない人には、「どん底から這い上がる」なんてのは、ただ暗いだけで見るのが苦痛なドラマとなったでしょう。視聴率は右肩下がりになり、制作側が模索をする時代に突入でございます。
そこでドラマは、明るさ、さわやか、勇気、元気なんてのを表現する様になるのでございます。毒を抜いたわけですよね。キャスティングも、(演技力の有無よりも)若い人受けするタレントを優先して起用する様になる。そしてここに、平成に台頭してきた「ネット」が絡んでくるのでございます。
ドラマを見た人が、「あぁ、勇気をもらえた」「あぁ、元気になった」とネットで「共感」を求めるわけでございます。まぁ、ワタクシに言わせれば、ネットの共感なんて「傷の舐め合い」だと思っておりますけどね。ただ、このネットでの共感により、制作側は「この”共感”から外れるドラマを作れなくなった」という泥沼にはまる訳でございます。
ビートたけしさんが、ある番組でこんな事を言っておりました。最近は、ギャグの表現でも「まん中」を常に要求されるそうでございます。例えば、「この貧乏人!」なんて語をギャグに盛り込むと、それが貧乏人への差別に取られかねないので、放送では使えないとのこと。かつて「毒」で人気を博していた人が、その毒を封じ込められてやりにくくなったと言っておりました。
ドラマがどん底の不条理を描けなくなった様に、日本人全体に「不条理に対する免疫」が無くなってきていると思うのでございます。そのせいでしょうか、「いじめ」という不条理を受けると最悪の事態にまで進んでしまうことが増えた。「過剰労働」という不条理から抜け出せず、自死を選んでしまう、等、等、等。
人間の体で「免疫が弱くなる」ってのは、生命の危機に至る危険な状態でございます。いや、これ、ダメでしょ。国家的に、ダメ! ワタクシ、思うに、世の中に「不条理」をもっと増やしましょう。ドラマが不条理を嫌い、きれい事ばかりを並べていてはいけないのでございます。