店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
クリスマスの夜に、ニューハーフのお友達から悲痛な声でLINEのメッセージをいただいたのでございます。LINEですから声は聞こえないのですが、まぁ泣きべそ半分、怒り半分で、悲痛な顔でメッセージを送信したであろう内容なのでございます。
その友人、クリスマスということもあって、フライドチキンを購入しに行ったのでございます。自転車に乗りまして、いざ、ケンタッキーフライドチキンへ! 長蛇の列に並びまして散々待たされ、やっと購入出来たそうでございます。
さて、その友人、自転車のカゴにそのフライドチキンを入れまして、帰り道、ローソンへ寄ったそうでございます。その友人、素直な性格で、人を疑うということを知らない。自転車のカゴにチキンを入れたまま、ローソンで買い物をしちゃったそうでございます。
ローソンから出て、ふと見ると、カゴのチキンが無い! 誰かに持ち去られたようでございます。病弱なお父さんと2人暮らしのその友人。お父さんを介護するけなげな息子(!)でございます。多分ローソンでケーキと飲み物を購入し、お父さんとささやかなクリスマスパーティーの予定だったのでしょう。
「想像してごらん。そのチキンを持って行った人は、大晦日に一杯の蕎麦を親子3人で分けるような貧乏な家の母親かもしれないよ。クリスマスに子供にチキンをせがまれても買ってやれず、悲しい思いで家路を急いでいたのかもしれない」
「ふと見ると、自転車のカゴにケンタッキーフライドチキンが! 脳裏にちらつく子供達の顔。その母親、悪いこととは知りながらも、何とか子供達にクリスマスらしいことをしてやりたい、その想いから、ふと出来心で持って行ってしまったのかもしれない」
「チキンを食べ損ねたけど、でもあなたのそのチキンで、クリスマスの夜に、貧しい貧しい家の母親と子供が、ほんのちょっと幸せな気分になれ、つつましいクリスマスの夜を迎えられたのかもしれないよ。そう考えると、悔しさも少しはやわらぐのでは?」
このお話は、チキンを取られた程度の事件なのですが、世の中にはもっと物騒な事件が溢れかえっております。何も悪いことをしていないのに、因縁とか、無差別とかで、自分の身内や最愛の人を失うような事件もございます。そんな事件に遭遇したら、やるせない気持ち、恨み節にもなるでしょう。
ここでね、他人事なのでチョイト勝手な論理を述べますよ。その身内や最愛の人を失った原因が、もし、空から降ってきた隕石だったとしたらどうでしょう? 小さな隕石だったら、まぁ予測は不可能でございます。隕石に当たるなんて、ほんの小さな小さな確率。ですから不運としか言い様がない。
自分に起きた災いがね、人為的なものだと、ついつい恨みたくもなる。けれど、それが「仕方のない不運」だと、受け入れざるを得ない。注目すべきは、同じ災いでも、そのいきさつの違いで、恨みに変わったり、受け入れられたりするということでございます。