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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-12-26 【コノウラミハラサデ...、なんて漫画もありましたね】

クリスマスの夜に、ニューハーフのお友達から悲痛な声でLINEのメッセージをいただいたのでございます。LINEですから声は聞こえないのですが、まぁ泣きべそ半分、怒り半分で、悲痛な顔でメッセージを送信したであろう内容なのでございます。

その友人、クリスマスということもあって、フライドチキンを購入しに行ったのでございます。自転車に乗りまして、いざ、ケンタッキーフライドチキンへ! 長蛇の列に並びまして散々待たされ、やっと購入出来たそうでございます。

さて、その友人、自転車のカゴにそのフライドチキンを入れまして、帰り道、ローソンへ寄ったそうでございます。その友人、素直な性格で、人を疑うということを知らない。自転車のカゴにチキンを入れたまま、ローソンで買い物をしちゃったそうでございます。

ローソンから出て、ふと見ると、カゴのチキンが無い! 誰かに持ち去られたようでございます。病弱なお父さんと2人暮らしのその友人。お父さんを介護するけなげな息子(!)でございます。多分ローソンでケーキと飲み物を購入し、お父さんとささやかなクリスマスパーティーの予定だったのでしょう。

で、その友人が、その経緯をLINEで知らせてくれたということ。まぁ、悔しかったでしょうねぇ。ワタクシ、何とか慰めたいと思いまして、以下のようなメッセージをその友人に送信したのでございます。


「想像してごらん。そのチキンを持って行った人は、大晦日に一杯の蕎麦を親子3人で分けるような貧乏な家の母親かもしれないよ。クリスマスに子供にチキンをせがまれても買ってやれず、悲しい思いで家路を急いでいたのかもしれない」

「ふと見ると、自転車のカゴにケンタッキーフライドチキンが! 脳裏にちらつく子供達の顔。その母親、悪いこととは知りながらも、何とか子供達にクリスマスらしいことをしてやりたい、その想いから、ふと出来心で持って行ってしまったのかもしれない」

「チキンを食べ損ねたけど、でもあなたのそのチキンで、クリスマスの夜に、貧しい貧しい家の母親と子供が、ほんのちょっと幸せな気分になれ、つつましいクリスマスの夜を迎えられたのかもしれないよ。そう考えると、悔しさも少しはやわらぐのでは?」


こんなメッセージを送ったわけでございます。まぁ、ワタクシ、他人事だから結構余裕ぶっこいたアドバイスをしております。もし自分の事だったら、こんなに余裕を持てるかなぁとは思いますけどね。

このお話は、チキンを取られた程度の事件なのですが、世の中にはもっと物騒な事件が溢れかえっております。何も悪いことをしていないのに、因縁とか、無差別とかで、自分の身内や最愛の人を失うような事件もございます。そんな事件に遭遇したら、やるせない気持ち、恨み節にもなるでしょう。

ここでね、他人事なのでチョイト勝手な論理を述べますよ。その身内や最愛の人を失った原因が、もし、空から降ってきた隕石だったとしたらどうでしょう? 小さな隕石だったら、まぁ予測は不可能でございます。隕石に当たるなんて、ほんの小さな小さな確率。ですから不運としか言い様がない。

自分に起きた災いがね、人為的なものだと、ついつい恨みたくもなる。けれど、それが「仕方のない不運」だと、受け入れざるを得ない。注目すべきは、同じ災いでも、そのいきさつの違いで、恨みに変わったり、受け入れられたりするということでございます。

人を恨む気持ちというのはね、「災いから発生しているのではない」のです。「災いに至る因果関係から、自分で作り出している」のでございます。何が起きても、そこから「恨み」を発生させるかどうかは本人次第。心の持ち様次第で、受け入れられたり、後々まで延々と引きずったりするのでございます。

この一年、良いことばかりだった人もいらっしゃるでしょう。でも、何かを恨みたくなるような出来事に遭遇した人もいらっしゃるかも。でもね、恨むという気持ちは、何ひとつ建設的には働きかけません。その恨み、心の持ち様次第で消してみませんか? ヒントは、「何でも隕石のせいにしてしまうこと」でございます。では、では。


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