店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
飾り終えた正月飾りって、毎年、神社に持って行って焼いてもらったり、あるいは個別にゴミ袋に入れて、丁寧にお礼を言ってから燃えるゴミに出しております。いつも処分する時に頭をよぎるのは、「正月飾り、毎年、使い回ししちゃえば?」という悪魔のささやきでございます。神事に悪魔ってのも、まぁ変な組み合わせですが、気にしない、気にしない。
実際、毎年使い回しされる方は結構いらっしゃるようです。昔はワタクシも、「バチが当たる」とか「不吉だ」とか思いましたが、今はその点、かなりルーズに考えております。「飾る日にちを間違えたくらいでバチを当てるような神様、こちらから願い下げだ!」くらいに思っております。というか、そういった根拠の無いことに振り回されるのが面倒くさくなったのでしょうねぇ。
ワタクシも、若い頃ほど、運・不吉・バチが当たるなんてぇことを気にしてましたねぇ。移動する時は、わざわざ風水で方角と時間を確認し、悪い時間や方角にしか動けない時には、「どんな悪いことが起きるのか?」と本気で心配したものでございます。
良い方角の良い時間に、その方向へ延々と歩いて行くという「運気取り」なんて行動もよくしてましたねぇ。ただひたすら、悪い運気を貰わないように、良い運気を拾えるように、そう考えて行動しておりました。その頃は、良い運気も悪い運気も、ポケモンgoで見つけるモンスターの様に思っていたのでしょう。
年を取ってくるとですね、良い運気も悪い運気も、自分の外から入ってくるのではない、元から自分の中に存在しているのだと気づいてくるのでございます。もともと持っていて、その時々で、どちらかが引き出されたり、あるいは、どちらも引き出せなかったり。
もちろん、パワースポットへ行ったりすることは無意味ではありませんよ。ただ、ワタクシの場合は、「パワーを貰いに行く」という感覚ではなく、「そこへ向かって行こうとする気概が、自分の中の良運を引き出すことになる」と考えるわけでございます。「貰う」という他力ではなく、「引き出す」という自力の考え方でございます。