店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
え~と、昨日、ワタクシが大風呂敷を広げた新人のご案内ですが、ちょいと先になりました。本人のプライベートな事情で直ぐには入店出来ないとのことで、入店日未定でございます。あとワンクリックでホームページにアップロード、というタイミングだったのですが、まぁ気長にお待ち下さい。
このお仕事に携わる人は、み~んな、いろんな事情を抱えているのですよね。どうかご理解をいただけると幸いでございます。特に、家族が近くにいる、知人が近くにいる、なんてぇことが有りますと、いろいろ大変なのでございます。
昔はニューハーフに対する風当たりが強かったので、実家のある地元で働くとかいうのは、かなり危険だったりいたしました。それで、地元から遠く離れた場所でお仕事をする人が多かった、と言うか、地元から離れた方が成功する人が多かったですね。
ワタクシがニューハーフなりたての頃、ワタクシの家庭は母ひとり子ひとりでございました。母親は若い頃からゲイバー遊びをしていたような人間で、ワタクシがニューハーフになったのも大して驚かなかったのでございます。まぁ、特殊と言えば特殊な家庭環境でございましたね。
で、毎晩、母親がテレビを見ている横でワタクシが化粧をして繁華街の飲食店へ出勤。そして早朝、玄関で寝ていると言うかぶっ倒れているワタクシを母親が見つけ、部屋の中まで引きずり込む。そんな親子でございました。
自身のブログで何度か書きましたけど、ワタクシの母親は昭和一桁生まれ。松竹の子役からスタートして女優へ。その後、女剣劇の世界を経て、芸者のアルバイトなどをしつつ、京都で小料理屋の女将をやることに。流れ流れて行き着いたのが名古屋。そこでワタクシを出産。その一人息子がニューハーフに(笑)。もし林芙美子が生きていれば一代記を書いたんじゃないかと思しき、波瀾万丈の母親の経歴でございます。
一人息子と書きましたが、実は、ワタクシの上に兄と姉がいることが母親の晩年に発覚。発覚というか、ただ母親が黙っていただけですけどね。見たこともない兄姉とワタクシは父親が違っていることも有りまして、母親の貯金通帳を相続する際には、まぁ、手続きが面倒くさいことに。大坂・京都・名古屋を転々とした母親の戸籍の軌跡を繋げるために、新幹線で走り回る羽目になったのでございます。