店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
明日から大相撲九州場所ですね。でも、白鵬、鶴竜、魁聖が休場とのこと。淋しいですねぇ。これだけ休場が増えると、「八百長でもいいから、みんな揃って出場してくれ」なんて不謹慎なことも考えちゃうのでございます。
さて、お話変わって、昨日は歌の歌詞をめぐって、無粋な計算をいたしました。「痩せて、帯がいつもよりも余計に回せた」というだけのことなのですが、じゃぁ、それが「どのくらい」なのか、「何センチ」なのかって突き詰めようとすると、昨日の様な「計算式」が必要になってくるわけでございます。
ワタクシもね、学校で方程式を習っていた時は、この知識が将来、美空ひばりの歌の謎を解明するとかは思いもしてませんでしたよ。他の多くの学生同様、「こんなもの、将来何の役に立つんだ」と思いつつ、受験のために覚えていたわけでございます。ただね、こういうことが有るから、知識や知恵ってのは、侮れないのでございます。
じゃぁ、「歌詞の謎の解明が、何の役に立っているんだ?」と聞かれそうですよね。これがね、役に立っているのでございます。ワタクシの役にたっている、ワタクシの「分かる喜び」を満たすために、役に立っているのでございます。
学問への動機(モチーフ)ってのは、本来、この「分かる喜び」であるはずなんですよね。世の中や自然界の「仕組み」をちょっと垣間見て、自分もその「仕組み」の中のひとつの歯車として組み込まれているわけで、そんな大自然の摂理が、まるで複雑な精密時計の内部のように理路整然に見えてくる。
かつて「ゆとり教育」が叫ばれたときには、本来ならばこの学問の原点を目指すべきだったのですよね。でも、実際には、単に「量」を減らすだけになってしまった。日本の教育を欧米式の「考えさせる教育」に変えられる貴重なターニングポイントだったのですが、自ら捨ててしまいましたね。