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薫さんのひとりごと

店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです

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2018-09-13 【枯れるということ】

ワタクシ、若い頃、音楽の道を目指しておりました。歌を歌う、あるいは楽器を演奏するというとき、あるひとつの目指していた境地がございます。それは「脱力」、そして「無心」でございます。今日はその「脱力と無心」のお話でございます。

脱力ってのは、必要最小限の場所に最小限の力だけ使い、余分なところへは、一切、力を入れないということ。でもね、中指を動かすと薬指も動いちゃうみたいに、人間の体ってのはなかなか「必要最小限」ってのが難しい。それを訓練で克服しようとしたのでございます。

無心というのは、「何も考えない」ってこと。演奏に関係あること関係ないこと、全て何も考えないということ。でもね、人間ってのは、どうしても記憶や知識や経験を無意識のうちに利用しようとするもの。それを排除するわけでございます。「排除しよう」という意識さえ持たない無心の境地でございます。

余分な力が入ってしまうと、「あ、いけない」とか「力を抜かなきゃ」とか余分なことを考えてしまいますよね。無心でなくなるわけでございます。逆に、「感動させてやろう」とか「このフレーズはこうやるのが効果的」なんて余分なことを考えると、今度は余分な力が入ってしまう。脱力と無心、この二つは一蓮托生の関係なのでございます。

さて、音楽で夢破れた後、ワタクシは舞台を目指すわけでございます。舞台の演技というもの、これもまた、「脱力と無心」なのでございます。セリフを覚えた後に、一度「忘れる」という作業が必要。そして、舞台の上で相手のセリフに誘われて突然思い出す。その忘れるという作業が無心なのでございます。

まぁ、音楽と舞台、どちらも芸術的な営みでございますので、その理想とする境地が共通するのもうなずける。で、舞台でも夢破れた後、ワタクシは接客業に専念することになるのでございます。そして、その接客業を突き詰めると、驚くなかれ、この接客業という世界もやはり、「脱力と無心」に行き着いたのでございます。

多分、音楽も舞台も接客業も、若い頃は脱力も無心もそれほど重要でないのかも知れません。若さゆえの「輝き」「勢い」が有るからでございます。また、若さゆえに許されるということもございましょう。その若さが無くなってきたときに、徐々に、徐々に、この脱力と無心の境地に近づくための修行僧の様な営みが続くのでございます。

無心とは言え、過去の経験や知識を全く使わないわけではございませんよ。そのような「智恵」は無意識の領域に昇華され、何も考えずに「自然に行動している」という境地なのでございます。この境地は、多分、ひとつのお仕事に長年従事されている方ならば自然に身につく境地でございましょう。そう、「職人」と呼ばれる方々が普通にやっていることなのでございます。

音楽、舞台、接客業と経験を重ねて来まして、結局、その理想型がこの「脱力と無心」という同じ境地に帰結するということに、いい年して驚くわけでございます。そして、音楽・舞台・接客に限らず、世の中でひとつの道を極めるというのは、結局、この「脱力と無心」に行き着くのだろうなと想像もできるわけでございます。全てに共通する「原理」とも言えるものに触れ、心躍るのでございます。

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先日、あるドラマに草笛光子さんが出演されてまして、「力抜けてるなぁ」「枯れてるなぁ」なんて思いながら、「脱力と無心」に関して改めて再認識させられたのでございます。銀座のクラブの高齢のママさんなんてのも、同じような雰囲気。と同時に、今、自分は、その境地の何合目まで来ているのかなぁなんて思ったわけですよね。ボチボチ、ボチボチ、登りましょうかねぇ、では、では。


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