店主、名古屋薫が、お店に関係あることや、お店に関係ないこととか、
いろいろ書いたりするかもです
今は、「世界中が何かに酔いたがっている」時代ではないでしょうか? 難病の子供がいるというサイトが立ち上がれば、世界中から治療費の寄付があつまる。そのサイトがフェイクかも知れないのに確かめもせず寄付をして、取りあえず「人道的なことをしたという酔い」に浸って高揚する。
ここからが本題。最近賑やかになっている「LGBT」も、単に世界中がこれをネタに酔いたがっているだけと、ワタクシ断言するのでございます。性的マイノリティ、つまり弱者・少数派に対する理解や保護を進めることで、「あぁ、我々は弱者を保護している優しい人なんだ」と酔っている。どこか、薄っぺらい優越感を持ちながらね。
最近、小中学校でのLGBTに対する対応や他の生徒への指導を、文科省が進めております。LGBTがイジメや不登校の原因になるからというのがその理由。ただね、LGBTの内、LGB(レズ・ゲイ・バイセクシャル)に関しては性対象の問題。T(トランセクシャル)は異性の衣装が着たいという衣装倒錯。この似て非なる二種類を、文科省はどこまで理解しているのでしょうねぇ。
子供から思春期にかけてのレズとかゲイといった感覚は、憧れや気まぐれである可能性も有るのでございます。成人になるにつれ、恋人が出来たりしますと、自然にそういった同性愛的感覚が消滅する場合もございます。回りがなまじっか方向性を持った指導をすることで、本来自然消滅していたはずのものを歪める可能性がございます。
そして、トランセクシャルという感覚。これも、子供の遊びや気まぐれだったり、軽度の発達障害の影響である可能性もございます。そして、やはり成人になるにつれて自然消滅する場合も多い。ここで、早期に大人が「性同一性障害」と決めつけた指導をすると、本来の原因を見逃して子供に歪んだ人生を送らせることにもなりかねない。
つまりね、小中学校がLGBTっぽい生徒に対応する場合、「子供の気まぐれ」「発達障害」なんてものを十分に念頭に置く必要があると思うのでございます。そして重要なのは、「LGBTだから」という切り口での指導はしないことでございます。
ちょっと話がそれますけどね、日本人は黒人に対する差別がほとんどございません。一方、アメリカでは、いまだに根強く黒人差別が残っております。この差は、何なんでしょう? それは、差別意識というのは全て後天的、つまり、生まれた後に刷り込まれた意識だからでございます。
日本では、子供が日常的に黒人差別を目の当たりにすることは皆無でございます。ところが、アメリカでは、日常で黒人差別が起こり得たり、親が子供に刷り込んだりもする。そう、人間の差別意識というのは、生まれた後に親や社会が子供に刷り込んでいるものなのでございます。
そろそろ、結論が見えてきましたよね。子供達がLGBTを差別するとしたら、それはその子供達が、どこかの段階で、誰かか、何かに、差別意識を刷り込まれているからなのでございます。小中学校は、「LGBTだから何かをする」という対処療法ではなく、子供達が差別意識を持っているその根本に切り込んでいく必要があるのでございます。